2010年4月12日月曜日

アマンダ・バーネットさん

一番楽しかったの日

   今までで、一番楽しかったの日は来年の七月十二日でした。あの日は夏休みの旅行の最後の日でした。誕生日なので、まだシカゴで泊まった、友達に私はチャイナタウンに行ってもらいました。チャイナタウンに行く事がありませんですから、本当にうれしかった。チャイナタウンで友達といっしょに買い物に行った、レストランでおいしい食べ物を食べました。
   朝、はやく起きました後で、チャイナタウンにさがして行きました。友達もチャイナタウンに行った事がないので、行く事が知りませんでした。それは少し大変でしたが、ホテルのマネージャは私たちにシカゴの地図を上げました。しかし、地図のえと言葉は少し小さいすぎるので、読みにくいでした。そして、シカゴで、車を運転するもにくいので、チャイナタウンに二時間ぐらいかかりました。
車に乗る時はまだ楽しかったでした。友達とずっと話しました。女の事やかっこいい男や夏のつもりを話しました。そして、チャイナタウンに行く事を知らないので、時々まいごになりました。あの時で、少し観光をしました。面白い人や高いビルを見ました。
   けっきょく、チャイナタウンを見つけました。駐車場で車を駐車した後で、チャイナタウンの大きいとりの前に写真をとりました。それ後で、チャイナタウンに入りました。
   まず、おなかがすいたので、レストランに行きました。「金色のりんご」というレストランを選びました。そこで、チキンローメインと冷たいお茶を注文しました。ファリシャちゃんもチキンローメインを注文しました。エリザベスちゃんはうどんとポットスティッカーを注文しました。ファリシャちゃんはおはしの使い方が分からないので、教えて試みました。とても楽しかったでした。そして、エリザベスちゃんは写真をとりました。
   つぎ、買い物に行きました。一番好きな店はまずの店でした。名前は中国語で書いてので、読みませんでした。しかし、店の中にアニメや着物やおりがみやアニメのおもちゃがありました。そこで、「オウランの高校のホスト部」というアニメと「ワンピス」というマンガから「サンジ」のおもちゃを買いました。きれいな緑のきものも買いました。友達は韓国からおりがみを買いました。
   後で、色々な店に行きました。二つのきものやお茶や日本のおもちゃも買いました。友達といっしょにずっと写真をとりました。そして、チャイナタウンの図書館にも行きました。図書館の前で、ライオンのぞうがありました。すごいだと思いました。でも、ライオンのぞうの上にだれか落書きがあるから、残念でした。
図書館に行った後で、私たちは疲れたので、ラフィエットに帰りました。
今までで、あの日はまだ私の一番楽しかった日です。

アマニュエル・アブラハムさん

   去年の夏休みにカリフォルニアからワシントンディシーへ飛行機で行きました。最初びんは、たしかカリフォルニアのサクラメントからテキサスのダラスにだった。そのびんはよかったです。しかし、テキサスのダラスからワシントンディシへ行く時はもう面白かったです。
   ダラスの天気はよかったです。それに、飛行機のきちょうは「ワシントンディシで強くなかった雨が降ります。」と言いました。飛行機に乗るが好きですが、心配しませんでした。私のせきが左側のつばさのよこありました。ワシントンでぃシに来る前にびんはよかったです。音楽を聞いて、くもの写真を撮って、コーヒーを飲みました。ワシントンディシに来る時に、きちょうは「ロナルドレガン空港の天気はちょっとあぶないですから、ワシントンダレス空港にちゃくりくします。心配しないでください、皆さん。」と言いました。外に見てたくさん黒いくもを見ました。夜でらいうにとばすことがありますから、わくになりました。とてもきれいなことです。そして、ダレス空港へ下りて、黒いくもの中に入って、ふおんは飛行機を打ちました。そして、まどの外に見て、いつのまにかつばさでとても明るいひかりを見て、大きいおとを聞きました。らくらいは飛行機のつばさを打ちました!つばさのうらは黒いになりました。びっくりした!そして、私のカメラを出して、写真を撮り始めました。飛行機のきちょうは「皆さん、らくらいは飛行機を打ちましたようです。だけど、飛行機はだいじょうぶです。もう一度ダレス空港にちゃくりくしてみましょう。心配しないで座っていてください。ダレス空港になるべくちゃくりくします。」と言いました。二つのしこうで、ちゃくりくしました。皆さんは大きいかんわを知りました。しかし、しょうぼうは飛行機を調べるまで降りられませんでした。ちゃくりくする道で待て、黄色いしょうぼうの車も、きゅうきゅうしゃを見ました。しょうぼうは飛行機を調べる後で、バスに乗って、空港に行きました。降りる時に、飛行機を見て、つばさのうらも飛行機のきしゃで黒い点を見ました。らくらいはつばさで飛行機に入って、飛行機のきしゃで出ました。私も皆さんはきちょうにたくさんしゃいを上げました。きちょうはその天気の中で、その飛行機がなかなかちゃくりくしませんでした。空港で、受付の隣てんいんは私たちにしょうひんけんをもらいました。その時に、笑いました。その経験はとてもすごかったです!

ヤンヒー・チョウ

アミューズメントバーク

   私の一番楽しかった記憶は、小学四年生の時、家族と「シクスフラーッグス」と言うアミューズメントパークに行った時です。アミューズメントパークなら、その時の前にもその時の後にも、行った時があるけれど、家族全員がいっしょに行ったのはその時が初めてでした。それに、父が家族といっしょに住む始めた時は私が中学生の時ので、その日はいつよりも大切だったと思っています。
   私と母と弟はデトロイトと言う小さい町に住んでいました。父は、たしか車で五時間ぐらいかかるシカゴで勤めていたので、家族とよく会うことは出来ませんでした。八月のある日、いつも私と弟に「お父さんはいつ帰るの?」と言われた母が父を穂門すると決めました。私たちは父と週末を過ごして、デトロイトに帰るつもりなんでしたが、父が私たちを駅に降ろす時、私と弟は高いローラコースターを見てしまいました。突然、私と弟が叫び声で「行きたい!行きたい!」と言って、母はもう一日シカゴで泊まることにしました。
   アミューズメントパークは大きくて、暑かったです。私が乗りたいものは列が長すぎたが、その時には何もかまいませんでした。私が記憶しているのライドは、たしかヴァイパ、アイロンウルフー、とアメリカンイーグルです。ずっと回っていたコーヒコップのようなライドもありましたが、名前は忘れました。マグナムと言うスイングも乗りました。必ずし、高ければ高いほどライドが楽しいというわけではないことも分かりました。もっと怖いそうな乗り物もありましたが、私は弟は背は低くすぎたので、乗れませんでした。
   多久さん乗って、おなかがすいていました。昼ごはんはアミューズメントパークの中で食べましたが、夕食は必ず韓国料理が食べたいでした。やっぱり韓国人たちがアメリカン料理ばかり食べるのは無理でしょう。けっきょくシカゴにあるレストランに行って、夕食を食べました。別に特別食べ物はなかったけれども、私と弟はおいしく食べました。その時、レストランのオウナーさえびっくりしました。弟はまだ育つところで、誰よりも多久さん食べました。
   その時ではすべてが楽しくてうれしかったですが、思い出せば少し泣きたくなります。その時私の親は、父も母も金もあまりないし、私と弟と遊び時間もないし、アミューズメントパークのような場所は全然行く状況ではなかったです。それでも、私たちのために高いチケットを買って、あまり好きじゃないアミューズメントパークに連れて行った親にいつも感謝したいです。それから、その時のうれしさを死ぬまでに忘れないようです。

キム・ユジン

一番面白かった一日

   私が話そうと思う一番面白かった一日は小学校の時修学旅行を行った日です。実はその時には面白い事ではなくて、少し恐ろしくて楽しくなかった事だったが、今考えれば皆良い思い出になったようです。
私の小学校は田舍にある小さな学校でした。それで学校でどこで遊びに行くことはとても大事でした。小学校が小さくて修学旅行を行く予算が多くなかったです。他の学校たちは良い所に行ったが、私たちは「競走」という韓国の文化都市へ行く事にしました。競走は韓国の昔の「新羅」という国の首都だったし、多くの文化財で有名でしたが、多く人がもう行きました。そして三日を行こうと思ったことを二日に行くようになりました。
   出発する前に私たちは皆つまらないと言ったが、必ずしも珍しくない所に行くのは楽しくないというわけではありません。やはり友達とどこへ行くということは面白い事でした。本で見たとか本当に見た文化財なのに友達だちはみんな面白がりました。そして翌日なら家へ行かなければならないという考えにもっとたくさん良い時間を過ごそうと思いました。
   おいしい夕食も終えました。寝る時間になりました。普通、小学生には自由時間が与えられないが、二日だけ修学旅行をする私たちが可哀想だから、先生たちは私たちに自由時間を受けさせてもらいました。面白いことは今から始めです。
   最初、私たちは枕けんかをしました。私たち年の学生は全部70人しかにならなかったから、皆枕けんかをするようになりました。友達の中に勉強はお上手だが毎日泣いて子供みたいな男子が一人いました。友達がいたずらでその人に枕を投げ始めました。それでその友達は泣き始めました。それを見た先生が私たちができることを制限しました。仕方なく私たちは部屋で静かに遊ぶことにしました。ところがいつのまにか友達たちが皆見えなかったです。そして宿所外でうるさい音が聞こえました。
   私は外に出ました。一建物で小学生のような女たちが私たちに大声を出していました。実は外ではけんかが起きました。私たちが泊まっていた宿所は二階の建物だったし、その前には高い宿所がありました。その宿所に泊まったいた他の学校の学生たちと私学校の学生たちが、けんかい始めたのです。どうして始まったかは分からなかったが、このけんかはますます大きくなりました。他の学校学生たちは高い階で私たちに飲み物カンなどの物を投げました。私たちも何やらしようと思ったがその学生たちがとても高い所にあって何もできなかったです。先生たちはけんかを止めようと思ったがけんかはなかなか易しく終わらなかったです。
   先生たちが私たちは皆宿所に入らさせました。しかしけんかは終わらなかったです。その時、レーザー光の出る物が流行だったから、皆レーザー光を一つずつ持っていました。子供達が窓を通じてお互いにレーザー光をうちました。けんかは長かったです。実は終わりにはけんかではなくてお互いに友達になって面白く遊びました。
   しかし先生たちはレーザー光さえ持って争う私たちを見て大変頭に来ました。結局けんかは終わったし、それに私たちの自由時間も終わりました。先生たちは頭に来たしトイレに行くこと以外に外に出ることはだめでした。しかし困りもの小学生たちがこんなに終わるわけがなかったです。短い旅行だが、いろいろ面白いことがもっとありました。その中の一つは顔に落書することでした。皆眠る時中に、男子供たちがベランダを通じて他の部屋に入って女学生たち顔に落書きをしました。翌日、女の子達は顔を見てびっくりしました。家に帰って来るバスで、男子供たちが寝る時女の子達が男子供顔に落書する復讐をしたという面白い話もあります。
   結局、皆無事に家に帰って来ました。自由時間の大部分を他の学校の学生たちとけんかすることが本当に珍しい経験だったと思います。争ったことは悪い事だが、後では良い友達になって幸いです。幼い時は他の学校の学生と争ったという事のため修学旅行が面白かったと思わなかったが、今考えて見たら良い友達も付き合ったし面白かった旅行だと思います。

2010年4月10日土曜日

アヤ・リュウゾウジ

チョコレートの思い出

   私は、皆が笑顔で私のお菓子を食べてくれるのがとても嬉しいです。なので、いろんなお菓子を作るのが好きです。だから、私の思い出の日は初めてヴァレンタインのチョコレートを作った日です。私の母は、お料理とお菓子作りが上手なので、ヴァレンタインのチョコレートの作り方を教えてもらいました。母はまず初に、チョコレート作りは時間をかけなければいけないと言い、私に、覚悟をするようにと言いました。
   一番大変だったのは、材料を揃えることでした。上手にヴァレンタインのチョコレートを作るのには、クーベルチュールと言うチョコレートを買わないとならなかったのです。日本ではクーベルチュールは、すぐに買うことが出来ますが、アメリカでは、それを売っている所があんまりありません。なので、クーベルチュールを買うのにとても時間がかかりました。
   材料が全部手に入ったので、早速ヴァレンタインチョコレートを作り始める事が出来るようになりました。最初に、中身を作ります。チョコレートをボールに入れて、そのボールをお湯に入れて、チョコレートをゆっくり溶かしました。溶かしたチョコレートには、いろいろな味を入れることが出来るので、私は、いろいろ実験しました。一つの種類は、コーヒーを入れ、もう一つには、マロンペーストを入れてみたりしました。それから、溶かしたチョコレートを冷蔵庫に入れてしばらく冷やしました。中身になるチョコレートが固まった時点で、コーティングのチョコレートを溶かしました。そして、冷やしたチョコレートを小さな丸い形に丸めて溶かしたコーティングのチョコレートを周りにかけました。その後は、きれいな箱に入れました。
   出来上がったヴァレンタインチョコレートは、プレゼントにしました。一箱は、学校に持って行き、友人や先生達にあげました。先生方には、学校が始まる前にさしあげ、友人達には、お昼休みにあげました。皆おいしいと言いながらパクパク食べてくれました。母は、娘の作ったチョコレートと言って、母の知り合い達にもあげていました。父は、娘が作ったヴァレンタインチョコレートだとうれしそうに、会社に持って行きました。皆おいしいと言ってくれました。
   家に帰ると形が悪いヴァレンタインチョコレートが残っていました。余っていた物は、私の家族の分になりました。形がバラバラだったけれども母と父は、笑顔で食べてくれました。私も何個か食べました。自分で自分のヴァレンタインチョコレートがおいしいと思ってしまいました。

リュー・シュウさん

思い出の一日

   私の思い出の一日は、多分私が初めてアメリカに行くの日だろう。それは私が初めて両親からはなれ、ひとりで遠くへ行くひでした。その初めての一人旅の行く先は、よりにもよって、地球の彼方にあるアメリカということは、やはり私を心細くさせました。だから、その日の先日は、私は両親と一緒に、北京にいる友達の家に行って、いっぱい遊んて、いろいろ美味しいものを食べました。
   そして、とうとう出発の朝がやって来ました。私と両親も、朝5時起きて、友達と別れをつけて、空港へ行きました。空港に到着したとき、飛行機の出発時間まではまた2時間もあるので、私は両親といろいろ話をしました。両親もまた私のことを心配してるんだから、「気を付けるんだ」とか、「病気をひかないように」とか、「着いたらすぐ電話をしてね」とか、いろいろ言いました。最後は、お父さんはまだ平気でしたけど、お母さんは涙さえ出てきました。私はなんとか泣くのを耐えましたけど、やっぱりちょっと悲しかった。
   飛行機はまず東京の成田空港に行って、それから別の飛行機に乗り換えてアメリカに行くというこでした。成田に着いた後、私はちょっとわくわくして、そしてちょっと驚きました。わくわくしたのは、私が初めて国を出てきましたから。驚きましたのは、成田空港がショピングモールみたいな場所でしたから。そういうわけで、次の飛行機に乗る前の一時間、私は空港の中にうろうろして、いろんな店を見て回しました。
   成田からデトロイトへ行くの飛行機は、とても時間がかかるものでした。飛行機の中に13時間はとてもつまらないでした。なんかこう、いつも眠たいけど、ちゃんと眠れないし、体がだるいし、何もしたくなかった。けど、何もしないのなら、時間の流れはさらに遅くなるので、無理でも何をしなくちゃいけないでした。だから、私は小説を読んて、ipodで映画を見て、なんか一世紀も過ぎたような錯覚さえ起こした後、飛行機はやっと、地上に戻りました。
   デトロイトの空港はまた私に違う驚きを与えました。中に列車さえある空港を見るのは初めてでした。でも私はまた次の飛行機に乗らなければいけないだから、驚きの時間もあんまりないでした。次はようやく目的地のハートフォードでした。デトロイトからハートフォードまではほんの一時間でしたから、前に乗った飛行機に比べれば全然たいしたものじゃないでした。
   ハートフォードについた後、私はすぐホストファミリーのお父さんと子供を見つけました。彼らは簡単に挨拶をした後、私を彼らの家に連れて行きました。それから、ホストファミリーのお母さんもあいました。皆とても優しい人に見えましたから、とりあえず安心しました。そして、晩御飯の前に、実家へ電話しました。両親は私の声を聞いた後も、やっと安心しました。それから、ホストファミリーと一緒に晩御飯を食べて、ちょっと話をした後、私は彼らが準備した部屋の中に入りました。
   北京から出発して、今になってもう36時間を過ぎましたけど、私は一睡もしないので、とても疲れました。だから、明日から始めるのアメリカ生活に対しての期待と不安を胸に抱いて、私はすぐ眠りに落ちました。

キンバリー・ソングさん

私の思い出の一日   

   私の思い出の一日は2004年4月4日です。少しふうんなのに、その日私はとてもうれしかったです。その日の前、私は友達たちに「私は日本に引っ越しする予定ですよ」と聞きましたから、4月4日に私の友達たちはいっしょにデパートに行きたいでした。その日を始めた時、私の友達、バンホングさんは私の家に来ました。私たちはデパートでアデリーンさんに会って予定でした。でも、父は私の車で食料品の買い物をしますから、私とバンホングさんはアデリーンさんに少しあって遅くなりました。アデリーンさんからのさしずは、デパートで着いてばかりの時、アデリーンさんに電話をかけなければなりませんでした。私はそのことをしました。
   デパートで、アデリーンさんを見えませんでした。そのことは少し変と思うのに、私とバンホングさんは心配しないでした。バンホングさんといっしょに買い物をして行きました。買い物をする中に、ジェシーさんと会いました。たくさん物が高いので、私はあんまり物を買わないでした。買い物をした後、私はおなかがペコペコですから、マクドナルドに行きたいでした。そのデパートはマクドナルドが二つあります。一つは地階であって、さいじょう階でも一つあります。地階のほうがきれいな店なので、私は地階のマクドナルドに行きたいでした。でも、ジェシーさんとバンホングさんはさいじょう階のマクドナルドに行って、私によってむりやり連れて来たられました。その時、私はその日が変な日からとても変な日になりました。
   さいじょう階のマクドナルドで、マルコムさんに会ったです。私はとてもぶっくりしました。マルコムさんは携帯電話をかけながら、「どうしてこの所にいるよ」を受けていました。マルコムさんからしじをあたえました。それから、私はマルコムさんの後につずくものとしてしました。マクドナルドの隣で、私の友達が十五人いました。ケビンさんはケーキを持っていました。その時、とてもうれしがったので、私はなくなりました。私の誕生日は6月の中のに、その日に祝いました。プレゼントがないのに、とても楽しかったです。その時、とくに私の友達たちが大好きだと思っていました。
   それから、ケーキとマクドナルドを食べました。私は全然お金を払いました。ケビンさんから「今日お金を払うことはゆるされない」と言いました。それから、映画館はマクドナルドのそばにあったから、行きました。マダガスカルと言う映画を見たかもしれません。映画を見た後、夜から、父は私に連れて、車で家に帰りました。2004年4月4日は忘れたくないと思っています。次の週、私は日本で新しい高校に行きました。