2010年4月12日月曜日

アマンダ・バーネットさん

一番楽しかったの日

   今までで、一番楽しかったの日は来年の七月十二日でした。あの日は夏休みの旅行の最後の日でした。誕生日なので、まだシカゴで泊まった、友達に私はチャイナタウンに行ってもらいました。チャイナタウンに行く事がありませんですから、本当にうれしかった。チャイナタウンで友達といっしょに買い物に行った、レストランでおいしい食べ物を食べました。
   朝、はやく起きました後で、チャイナタウンにさがして行きました。友達もチャイナタウンに行った事がないので、行く事が知りませんでした。それは少し大変でしたが、ホテルのマネージャは私たちにシカゴの地図を上げました。しかし、地図のえと言葉は少し小さいすぎるので、読みにくいでした。そして、シカゴで、車を運転するもにくいので、チャイナタウンに二時間ぐらいかかりました。
車に乗る時はまだ楽しかったでした。友達とずっと話しました。女の事やかっこいい男や夏のつもりを話しました。そして、チャイナタウンに行く事を知らないので、時々まいごになりました。あの時で、少し観光をしました。面白い人や高いビルを見ました。
   けっきょく、チャイナタウンを見つけました。駐車場で車を駐車した後で、チャイナタウンの大きいとりの前に写真をとりました。それ後で、チャイナタウンに入りました。
   まず、おなかがすいたので、レストランに行きました。「金色のりんご」というレストランを選びました。そこで、チキンローメインと冷たいお茶を注文しました。ファリシャちゃんもチキンローメインを注文しました。エリザベスちゃんはうどんとポットスティッカーを注文しました。ファリシャちゃんはおはしの使い方が分からないので、教えて試みました。とても楽しかったでした。そして、エリザベスちゃんは写真をとりました。
   つぎ、買い物に行きました。一番好きな店はまずの店でした。名前は中国語で書いてので、読みませんでした。しかし、店の中にアニメや着物やおりがみやアニメのおもちゃがありました。そこで、「オウランの高校のホスト部」というアニメと「ワンピス」というマンガから「サンジ」のおもちゃを買いました。きれいな緑のきものも買いました。友達は韓国からおりがみを買いました。
   後で、色々な店に行きました。二つのきものやお茶や日本のおもちゃも買いました。友達といっしょにずっと写真をとりました。そして、チャイナタウンの図書館にも行きました。図書館の前で、ライオンのぞうがありました。すごいだと思いました。でも、ライオンのぞうの上にだれか落書きがあるから、残念でした。
図書館に行った後で、私たちは疲れたので、ラフィエットに帰りました。
今までで、あの日はまだ私の一番楽しかった日です。

アマニュエル・アブラハムさん

   去年の夏休みにカリフォルニアからワシントンディシーへ飛行機で行きました。最初びんは、たしかカリフォルニアのサクラメントからテキサスのダラスにだった。そのびんはよかったです。しかし、テキサスのダラスからワシントンディシへ行く時はもう面白かったです。
   ダラスの天気はよかったです。それに、飛行機のきちょうは「ワシントンディシで強くなかった雨が降ります。」と言いました。飛行機に乗るが好きですが、心配しませんでした。私のせきが左側のつばさのよこありました。ワシントンでぃシに来る前にびんはよかったです。音楽を聞いて、くもの写真を撮って、コーヒーを飲みました。ワシントンディシに来る時に、きちょうは「ロナルドレガン空港の天気はちょっとあぶないですから、ワシントンダレス空港にちゃくりくします。心配しないでください、皆さん。」と言いました。外に見てたくさん黒いくもを見ました。夜でらいうにとばすことがありますから、わくになりました。とてもきれいなことです。そして、ダレス空港へ下りて、黒いくもの中に入って、ふおんは飛行機を打ちました。そして、まどの外に見て、いつのまにかつばさでとても明るいひかりを見て、大きいおとを聞きました。らくらいは飛行機のつばさを打ちました!つばさのうらは黒いになりました。びっくりした!そして、私のカメラを出して、写真を撮り始めました。飛行機のきちょうは「皆さん、らくらいは飛行機を打ちましたようです。だけど、飛行機はだいじょうぶです。もう一度ダレス空港にちゃくりくしてみましょう。心配しないで座っていてください。ダレス空港になるべくちゃくりくします。」と言いました。二つのしこうで、ちゃくりくしました。皆さんは大きいかんわを知りました。しかし、しょうぼうは飛行機を調べるまで降りられませんでした。ちゃくりくする道で待て、黄色いしょうぼうの車も、きゅうきゅうしゃを見ました。しょうぼうは飛行機を調べる後で、バスに乗って、空港に行きました。降りる時に、飛行機を見て、つばさのうらも飛行機のきしゃで黒い点を見ました。らくらいはつばさで飛行機に入って、飛行機のきしゃで出ました。私も皆さんはきちょうにたくさんしゃいを上げました。きちょうはその天気の中で、その飛行機がなかなかちゃくりくしませんでした。空港で、受付の隣てんいんは私たちにしょうひんけんをもらいました。その時に、笑いました。その経験はとてもすごかったです!

ヤンヒー・チョウ

アミューズメントバーク

   私の一番楽しかった記憶は、小学四年生の時、家族と「シクスフラーッグス」と言うアミューズメントパークに行った時です。アミューズメントパークなら、その時の前にもその時の後にも、行った時があるけれど、家族全員がいっしょに行ったのはその時が初めてでした。それに、父が家族といっしょに住む始めた時は私が中学生の時ので、その日はいつよりも大切だったと思っています。
   私と母と弟はデトロイトと言う小さい町に住んでいました。父は、たしか車で五時間ぐらいかかるシカゴで勤めていたので、家族とよく会うことは出来ませんでした。八月のある日、いつも私と弟に「お父さんはいつ帰るの?」と言われた母が父を穂門すると決めました。私たちは父と週末を過ごして、デトロイトに帰るつもりなんでしたが、父が私たちを駅に降ろす時、私と弟は高いローラコースターを見てしまいました。突然、私と弟が叫び声で「行きたい!行きたい!」と言って、母はもう一日シカゴで泊まることにしました。
   アミューズメントパークは大きくて、暑かったです。私が乗りたいものは列が長すぎたが、その時には何もかまいませんでした。私が記憶しているのライドは、たしかヴァイパ、アイロンウルフー、とアメリカンイーグルです。ずっと回っていたコーヒコップのようなライドもありましたが、名前は忘れました。マグナムと言うスイングも乗りました。必ずし、高ければ高いほどライドが楽しいというわけではないことも分かりました。もっと怖いそうな乗り物もありましたが、私は弟は背は低くすぎたので、乗れませんでした。
   多久さん乗って、おなかがすいていました。昼ごはんはアミューズメントパークの中で食べましたが、夕食は必ず韓国料理が食べたいでした。やっぱり韓国人たちがアメリカン料理ばかり食べるのは無理でしょう。けっきょくシカゴにあるレストランに行って、夕食を食べました。別に特別食べ物はなかったけれども、私と弟はおいしく食べました。その時、レストランのオウナーさえびっくりしました。弟はまだ育つところで、誰よりも多久さん食べました。
   その時ではすべてが楽しくてうれしかったですが、思い出せば少し泣きたくなります。その時私の親は、父も母も金もあまりないし、私と弟と遊び時間もないし、アミューズメントパークのような場所は全然行く状況ではなかったです。それでも、私たちのために高いチケットを買って、あまり好きじゃないアミューズメントパークに連れて行った親にいつも感謝したいです。それから、その時のうれしさを死ぬまでに忘れないようです。

キム・ユジン

一番面白かった一日

   私が話そうと思う一番面白かった一日は小学校の時修学旅行を行った日です。実はその時には面白い事ではなくて、少し恐ろしくて楽しくなかった事だったが、今考えれば皆良い思い出になったようです。
私の小学校は田舍にある小さな学校でした。それで学校でどこで遊びに行くことはとても大事でした。小学校が小さくて修学旅行を行く予算が多くなかったです。他の学校たちは良い所に行ったが、私たちは「競走」という韓国の文化都市へ行く事にしました。競走は韓国の昔の「新羅」という国の首都だったし、多くの文化財で有名でしたが、多く人がもう行きました。そして三日を行こうと思ったことを二日に行くようになりました。
   出発する前に私たちは皆つまらないと言ったが、必ずしも珍しくない所に行くのは楽しくないというわけではありません。やはり友達とどこへ行くということは面白い事でした。本で見たとか本当に見た文化財なのに友達だちはみんな面白がりました。そして翌日なら家へ行かなければならないという考えにもっとたくさん良い時間を過ごそうと思いました。
   おいしい夕食も終えました。寝る時間になりました。普通、小学生には自由時間が与えられないが、二日だけ修学旅行をする私たちが可哀想だから、先生たちは私たちに自由時間を受けさせてもらいました。面白いことは今から始めです。
   最初、私たちは枕けんかをしました。私たち年の学生は全部70人しかにならなかったから、皆枕けんかをするようになりました。友達の中に勉強はお上手だが毎日泣いて子供みたいな男子が一人いました。友達がいたずらでその人に枕を投げ始めました。それでその友達は泣き始めました。それを見た先生が私たちができることを制限しました。仕方なく私たちは部屋で静かに遊ぶことにしました。ところがいつのまにか友達たちが皆見えなかったです。そして宿所外でうるさい音が聞こえました。
   私は外に出ました。一建物で小学生のような女たちが私たちに大声を出していました。実は外ではけんかが起きました。私たちが泊まっていた宿所は二階の建物だったし、その前には高い宿所がありました。その宿所に泊まったいた他の学校の学生たちと私学校の学生たちが、けんかい始めたのです。どうして始まったかは分からなかったが、このけんかはますます大きくなりました。他の学校学生たちは高い階で私たちに飲み物カンなどの物を投げました。私たちも何やらしようと思ったがその学生たちがとても高い所にあって何もできなかったです。先生たちはけんかを止めようと思ったがけんかはなかなか易しく終わらなかったです。
   先生たちが私たちは皆宿所に入らさせました。しかしけんかは終わらなかったです。その時、レーザー光の出る物が流行だったから、皆レーザー光を一つずつ持っていました。子供達が窓を通じてお互いにレーザー光をうちました。けんかは長かったです。実は終わりにはけんかではなくてお互いに友達になって面白く遊びました。
   しかし先生たちはレーザー光さえ持って争う私たちを見て大変頭に来ました。結局けんかは終わったし、それに私たちの自由時間も終わりました。先生たちは頭に来たしトイレに行くこと以外に外に出ることはだめでした。しかし困りもの小学生たちがこんなに終わるわけがなかったです。短い旅行だが、いろいろ面白いことがもっとありました。その中の一つは顔に落書することでした。皆眠る時中に、男子供たちがベランダを通じて他の部屋に入って女学生たち顔に落書きをしました。翌日、女の子達は顔を見てびっくりしました。家に帰って来るバスで、男子供たちが寝る時女の子達が男子供顔に落書する復讐をしたという面白い話もあります。
   結局、皆無事に家に帰って来ました。自由時間の大部分を他の学校の学生たちとけんかすることが本当に珍しい経験だったと思います。争ったことは悪い事だが、後では良い友達になって幸いです。幼い時は他の学校の学生と争ったという事のため修学旅行が面白かったと思わなかったが、今考えて見たら良い友達も付き合ったし面白かった旅行だと思います。

2010年4月10日土曜日

アヤ・リュウゾウジ

チョコレートの思い出

   私は、皆が笑顔で私のお菓子を食べてくれるのがとても嬉しいです。なので、いろんなお菓子を作るのが好きです。だから、私の思い出の日は初めてヴァレンタインのチョコレートを作った日です。私の母は、お料理とお菓子作りが上手なので、ヴァレンタインのチョコレートの作り方を教えてもらいました。母はまず初に、チョコレート作りは時間をかけなければいけないと言い、私に、覚悟をするようにと言いました。
   一番大変だったのは、材料を揃えることでした。上手にヴァレンタインのチョコレートを作るのには、クーベルチュールと言うチョコレートを買わないとならなかったのです。日本ではクーベルチュールは、すぐに買うことが出来ますが、アメリカでは、それを売っている所があんまりありません。なので、クーベルチュールを買うのにとても時間がかかりました。
   材料が全部手に入ったので、早速ヴァレンタインチョコレートを作り始める事が出来るようになりました。最初に、中身を作ります。チョコレートをボールに入れて、そのボールをお湯に入れて、チョコレートをゆっくり溶かしました。溶かしたチョコレートには、いろいろな味を入れることが出来るので、私は、いろいろ実験しました。一つの種類は、コーヒーを入れ、もう一つには、マロンペーストを入れてみたりしました。それから、溶かしたチョコレートを冷蔵庫に入れてしばらく冷やしました。中身になるチョコレートが固まった時点で、コーティングのチョコレートを溶かしました。そして、冷やしたチョコレートを小さな丸い形に丸めて溶かしたコーティングのチョコレートを周りにかけました。その後は、きれいな箱に入れました。
   出来上がったヴァレンタインチョコレートは、プレゼントにしました。一箱は、学校に持って行き、友人や先生達にあげました。先生方には、学校が始まる前にさしあげ、友人達には、お昼休みにあげました。皆おいしいと言いながらパクパク食べてくれました。母は、娘の作ったチョコレートと言って、母の知り合い達にもあげていました。父は、娘が作ったヴァレンタインチョコレートだとうれしそうに、会社に持って行きました。皆おいしいと言ってくれました。
   家に帰ると形が悪いヴァレンタインチョコレートが残っていました。余っていた物は、私の家族の分になりました。形がバラバラだったけれども母と父は、笑顔で食べてくれました。私も何個か食べました。自分で自分のヴァレンタインチョコレートがおいしいと思ってしまいました。

リュー・シュウさん

思い出の一日

   私の思い出の一日は、多分私が初めてアメリカに行くの日だろう。それは私が初めて両親からはなれ、ひとりで遠くへ行くひでした。その初めての一人旅の行く先は、よりにもよって、地球の彼方にあるアメリカということは、やはり私を心細くさせました。だから、その日の先日は、私は両親と一緒に、北京にいる友達の家に行って、いっぱい遊んて、いろいろ美味しいものを食べました。
   そして、とうとう出発の朝がやって来ました。私と両親も、朝5時起きて、友達と別れをつけて、空港へ行きました。空港に到着したとき、飛行機の出発時間まではまた2時間もあるので、私は両親といろいろ話をしました。両親もまた私のことを心配してるんだから、「気を付けるんだ」とか、「病気をひかないように」とか、「着いたらすぐ電話をしてね」とか、いろいろ言いました。最後は、お父さんはまだ平気でしたけど、お母さんは涙さえ出てきました。私はなんとか泣くのを耐えましたけど、やっぱりちょっと悲しかった。
   飛行機はまず東京の成田空港に行って、それから別の飛行機に乗り換えてアメリカに行くというこでした。成田に着いた後、私はちょっとわくわくして、そしてちょっと驚きました。わくわくしたのは、私が初めて国を出てきましたから。驚きましたのは、成田空港がショピングモールみたいな場所でしたから。そういうわけで、次の飛行機に乗る前の一時間、私は空港の中にうろうろして、いろんな店を見て回しました。
   成田からデトロイトへ行くの飛行機は、とても時間がかかるものでした。飛行機の中に13時間はとてもつまらないでした。なんかこう、いつも眠たいけど、ちゃんと眠れないし、体がだるいし、何もしたくなかった。けど、何もしないのなら、時間の流れはさらに遅くなるので、無理でも何をしなくちゃいけないでした。だから、私は小説を読んて、ipodで映画を見て、なんか一世紀も過ぎたような錯覚さえ起こした後、飛行機はやっと、地上に戻りました。
   デトロイトの空港はまた私に違う驚きを与えました。中に列車さえある空港を見るのは初めてでした。でも私はまた次の飛行機に乗らなければいけないだから、驚きの時間もあんまりないでした。次はようやく目的地のハートフォードでした。デトロイトからハートフォードまではほんの一時間でしたから、前に乗った飛行機に比べれば全然たいしたものじゃないでした。
   ハートフォードについた後、私はすぐホストファミリーのお父さんと子供を見つけました。彼らは簡単に挨拶をした後、私を彼らの家に連れて行きました。それから、ホストファミリーのお母さんもあいました。皆とても優しい人に見えましたから、とりあえず安心しました。そして、晩御飯の前に、実家へ電話しました。両親は私の声を聞いた後も、やっと安心しました。それから、ホストファミリーと一緒に晩御飯を食べて、ちょっと話をした後、私は彼らが準備した部屋の中に入りました。
   北京から出発して、今になってもう36時間を過ぎましたけど、私は一睡もしないので、とても疲れました。だから、明日から始めるのアメリカ生活に対しての期待と不安を胸に抱いて、私はすぐ眠りに落ちました。

キンバリー・ソングさん

私の思い出の一日   

   私の思い出の一日は2004年4月4日です。少しふうんなのに、その日私はとてもうれしかったです。その日の前、私は友達たちに「私は日本に引っ越しする予定ですよ」と聞きましたから、4月4日に私の友達たちはいっしょにデパートに行きたいでした。その日を始めた時、私の友達、バンホングさんは私の家に来ました。私たちはデパートでアデリーンさんに会って予定でした。でも、父は私の車で食料品の買い物をしますから、私とバンホングさんはアデリーンさんに少しあって遅くなりました。アデリーンさんからのさしずは、デパートで着いてばかりの時、アデリーンさんに電話をかけなければなりませんでした。私はそのことをしました。
   デパートで、アデリーンさんを見えませんでした。そのことは少し変と思うのに、私とバンホングさんは心配しないでした。バンホングさんといっしょに買い物をして行きました。買い物をする中に、ジェシーさんと会いました。たくさん物が高いので、私はあんまり物を買わないでした。買い物をした後、私はおなかがペコペコですから、マクドナルドに行きたいでした。そのデパートはマクドナルドが二つあります。一つは地階であって、さいじょう階でも一つあります。地階のほうがきれいな店なので、私は地階のマクドナルドに行きたいでした。でも、ジェシーさんとバンホングさんはさいじょう階のマクドナルドに行って、私によってむりやり連れて来たられました。その時、私はその日が変な日からとても変な日になりました。
   さいじょう階のマクドナルドで、マルコムさんに会ったです。私はとてもぶっくりしました。マルコムさんは携帯電話をかけながら、「どうしてこの所にいるよ」を受けていました。マルコムさんからしじをあたえました。それから、私はマルコムさんの後につずくものとしてしました。マクドナルドの隣で、私の友達が十五人いました。ケビンさんはケーキを持っていました。その時、とてもうれしがったので、私はなくなりました。私の誕生日は6月の中のに、その日に祝いました。プレゼントがないのに、とても楽しかったです。その時、とくに私の友達たちが大好きだと思っていました。
   それから、ケーキとマクドナルドを食べました。私は全然お金を払いました。ケビンさんから「今日お金を払うことはゆるされない」と言いました。それから、映画館はマクドナルドのそばにあったから、行きました。マダガスカルと言う映画を見たかもしれません。映画を見た後、夜から、父は私に連れて、車で家に帰りました。2004年4月4日は忘れたくないと思っています。次の週、私は日本で新しい高校に行きました。

ダユン・スールさん

世の中で一番悲しかった一週間

   私の人生で一番悲しかった瞬間を憶えて見る。22年間の人生で一番悲しかった瞬間はいつだったろうか。それはたぶんご両親とはなれて初めてカナダに留学を行った年のクリスマスだったようだ。その年のクリスマスは私の人生で消したいおさない時の悪いきおくだ。
   その年のクリスマスは世の中で一番寒くてさびしかったクリスマスだ。私はまだ高等学校 1年生だった。何も分からなかった幼い少女だった。韓国で遠くなった新しい国、カナダで初めに迎えるクリスマスは幼い私にはきびしかった。私の子供時の友達の家族だったホームステイ家族たちは私の家族のように暖かくなかった。むしろ、家族たちがみんな一緒にあるホームステイ家族の姿が私をもっとさびしくした。それに、一緒に住んでいたルームメート友達も冬休みだから韓国へ行ったから, 二人が住んでいた大きい部屋に一人でのこされたことがもっと私をさびしくかんじられてひとりになるようだった。それで、一週間のクリスマス休みに毎晩一人で布団のなかで泣いた。その時は何がそんなに悲しくて悲しかったのか 5日間一日ももらさないで毎晩泣いた。
   初めてい行った留学の学校生活はあまりにも楽しかった。新しい友達もつき合って韓国の学校とは違う楽しさがあった。でも、学校は家でとても遠くあった。 始めはホームステイ家族たちが学校の近くに家を買うと約束をしたが, 約束を守らなかったまま, 学校でバスに1時間半ぐらいかかる所に家を買った。それで、私は毎朝ホームステイ家族のいとこである私のルームメートと一緒に 6時前に起きて、シャワーをして, 7時に家を出て、バスを乗り換えて学校へ行った。そうでなくても冬が長いカナダなのに, 冬になって雪がふれば学校を行くのに 2時間もかかった。
   しかし、両親に電話することができなかった。電話して、会いたいとさびしいと話していろうを受けたかったが, 韓国にいるご両親を心配させたくなかった。本当に両親を心配させて上げたくなかった。ひとりにもくっせずによくやることお見せしたかった。父さんは始めからおさない私を遠い国に留学送りたがらなかった。私が行きたいと言って父さんをせっとくして来た留学だった。それで、父さんにはもっと電話することができなかった。いつも元気だと楽しろいと話した。
   しかし、そんな困難があったから私はもっと成長したようだ。両親のそばで何らの難しさが分からなくて育ったら、私が生きて行くこの社会をまだ分からなかったはずだ。今は多くの人々と一緒に生きて行く方法が分かる。まだたくさん不足だが、小さい時の留学経験が私をもっと大きい人で作ってくれた。それで、私は留学来たことを後悔しない。むしろありがたく思う。

アンナ・ピーストさん

ペアラモアとノーダウトのコンサート

   一番楽しくて面白い日は去年の夏の日でした。7月11日で蒸し暑い日でした。その日には、好きなバンドのペアラモア(Paramore)とノーダウト(No Doubt)のコンサートに友達のマックスと行きました。コンサートはシカゴにありました。
   その朝、私は起きて、わくわくしていましたから、何も食べられませんでした。数時間の後で、マックスさんの家に運転しました。私たちはマックスさんの家からシカゴまで運転する予定でした。私はマックスさんの家に着いた後で、すぐ出かけました。
   マックスさんの家からシカゴから45分でかかって、いつの間にか、コンサートの所に着きました。所の名前はファーストミッドウェストバンクアムファシアター(First Midwest Bank Amphitheater)でした。私たちは早く着いて、4時間ぐらい待ってしまいましたけど、つまらなくなかったです。待ちながら、ノーダウトのTシャツを買いました。そして、ほかの待った人と友達になりました。エインジェルって女の子と友達になりました。まだわくわくしていましたから、まだ食べていませんでした。食べないで栄養ドリンクを飲みました。
   コンサートの所のドアが開いた時、私とマックスさんとエインジェルさんとみんなはステージの近くに走りました。人が多かったから、ステージの前に走りにくかったですけど、私とマックスさんはちょっとステージの近かったです。
   私たちは1時間ぐらい立って、待ってしまいました。それから、ペアラモアのバンドのメンバーステージに入りました。入った時、わくわくしていましたから、泣きさけびました。私はシンガーのヘイリーさんを見ながら、彼女がかっこいいってしか思いませんでした。ペイラモアはたくさん好きな曲をして、とてもうれしかったです。
   次、ノーダウとはステージに入りました。すばらしいステージのセットがあって、ノーダウとのバンドのメンバーはステージでとても元気でした。シンガーのグェンはとてもかこかったで、プッシュアップをさえしました。
   一日中何も食べませんでしたから、ノーダウトのコンサートのうちに、目が回わるようになりました。私はマックスさんにぐあいが悪いって言って、人込みの外に行きました。それから、倒れましたから、マックスさんはファーストミッドウェストバンクアムファシアターの救護所に私を運んで行きました。その所で、ベッドに横たえて、水を飲みました。ちょっと元気になりましたから、救護所を出て、歩き回りました。私たちはペイラモアのマーチャンダイズのスタンドを見つけて、Tシャツを買いました。私とマックスさんは同じシャツを買いました。
   その後で、コンサートが終わって、人込みは出て始めましたから、私とマックスさんも出ました。楽しくて面白くてクレージーな日でした。ぐあいが悪かったのに、とても楽しい経験でした。

カラニ・クナールさん

私の人生で一番つらいひのはんしです。

   その日は私が学校が終わって夏休みに入ったばっかりでした。お父さんが部屋に入ってきて、涙をながしながらすぐにインドへいく準備しろと言われました。私はなにも言わずに準備をしました。家をでてタクシーに載ってバス乗り場へいきました。バスで空港にむかいました。バスの中で父はもうちょっと落ち着いて私になにがおこっているかをおしえてくれました。それはじつはインドにいたおじいさんがたいちょうをくずして、入院したことでした。私はこれを聞いた瞬間泣き始めました。なぜかと言うと私はおじいさんととても中が良かったからです。それから飛行機に載ってインドへ飛びました。
   飛行機に載って8時間、インドのムンバイにつきました。インドのはこのときモンスンのきせつだったから雨がザアザア降っていました。空港をでてタクシーにのろうとした時後ろからけいびいいんが来てお父さんと話はじめました。私はインドの警察が苦手だったので凄くこわかったです。お父さんがやっと話終わるとタクシーにっておじいいさんの家にむかいました。
   タクシーに載って1時間ぐらいでした。タクシーの運転手はタクシーを路上でとめ私と父のタクシーがこわれましたと言うます。私と父はとてもこわかったです。なぜかと言うとこのてぐちをつかってインドではよくお金や荷物をとられ事が多い。私と父いつももち歩いてるスウィス性のナイフをポケットからだしていつでもつかえる準備をした。でもこのタクシーの運転士は悪きがなかったので、しずかにタクシーをおりてタクシーをなおして、おじいさんの家に向かいました。タクシーをのつてからもう1時間がたつておじいさんの家につきました。
   家についた時お父さんの妹たちがいました。二人とも泣いていました。それで入院しているはずのおじいさんは自分のベッドの上で泣いてました。おじいさんに話したかった私はおじいさんのとこへ走って行きますけれどいろんな人にとめられます。でもおじいさんは私を見て泣くのをやめて私に話があると言います。でもおじいさんはもう体が疲れていてぜんぜん思うようにはなせなかったです。おじいさんは私にむすこをたのんだ、のひとことを言いました。その後父と少し話しをして寝ました。でもおじいさんはこのねむりからおきることなくあのようへ行ってしまいました。私はこの時に初めて知ったことがおじいさんはがんがとたたかっていたことです。私はどうはんのうをするばいいかわからなくってストレスがいっぱいあって寝てしまいました。つぎに日起きておそうしきとかをして、日本へ帰りました。この日はぜったいにわすれられない一日でした。

ティファニー・カーターさん

中学の時に海洋生物学についてを習うためにフロリダキーズに行きました。一週間ぐらい同級生とたくさん面白いことを経験しました。寮でとまった、カフェテリアで食べた、キャンプテカムサみたいでした。
初日に水泳試験を受けなければなりませんでした。水泳試験のために十分間立ち泳ぎしなければなりませんでした。そして、ライフジャケットないでラグーンを泳いで渡りました。ラグーンは広いし、深いし、暗いし、水中で何がいるのが分からないので、ちょっとこわいでした。でも、休み時間にラグーンを探れました。深くて、深くて、ラグーンの中に潜水艦のホテルがありました。宿泊客はその潜水艦のホテルでとまると、一晩中面白い魚を見えます。ラグーン中に見えるのに深すぎましたが、浅いところに面白い生き物が見えました。いつかもう一度そのラグーンに泳ぎたいです。
休み時間の後で、教室で海洋生物学を勉強しました。海に行く前に海洋生物を習うべきと思います。中学校でクラスが好きじゃなかったが、海洋生物学がすごく面白いので海洋生物学のクラスはかまいませんでした。
クラスの後で、海でスノーケルをできました。水中洞窟とかマングローブとか面白い場所にふねで行きました。シーグラスの場所にたくさんクラゲがいました。ゴーグルに塩水が入った、浅い水で立った、クラゲを踏んだしまいました。刺されました。「足痛い。。。死ぬかも」と思っていましたが、大丈夫でした。二日痛いましただけでした。サンゴ礁でたくさんきれいで華やかな魚があるのでたくさん写真をとりました。私の人生にバラクーダを初めて見ました。バラクーダの歯がとても鋭いのに、こわくありませんでした。噛まなかったうれしいでした。ちょっとだけ見るために小さいタツノオトシゴをとらえました。実生活にタツノオトシゴを見えるのはすごいでした。
夜にふねの後ろにネットを引っ張りました。ネットを見ると、暗闇で光るプランクトンがいました。そんなことを見たことがありませんでした。そして、研究室に行くと、サンプルを調べました。顕微鏡を見ました。科学者のようにかんじました。
それはわたしの一番楽しくて、面白い日でした。この旅行の後で海洋生物学の興味になってきました。たくさんの事を習いました。家族と会いたかったが、海洋生物学が大好きで楽しんだので帰りたくなかったです。カメラがこわれちゃったのは残念ですが、いい思い出すがあります。

2010年2月28日日曜日

ヤンヒー・チョーさん

アリスの物語

   昔々、あるところにアリスと言う少女がお父さんとお母さんと森の隣にある家に住みました。アリスのご両親は優しい人たちで、アリスはその中で親切と幸せでした。アリスはせが低くて、髪が明るい黄色いでした。目は大きくて、空のように青く光って、とってもきれいでした。その三人のうちにはいつも笑いを聞こえて、そばにいる森にこだましました。
   ある日、アリスのお母さんは病気になって、「赤いとげのベーリ」と言う果物がいりました。アリスのお父さんは医者を探しに家を出て、あかいとげのべーリを持たれる人はアリスだけでした。「少しだけ待ってよ。」アリスがお母さんに言いました。そして、白いドレスを着て、森の中に入りました。アリスは小さい時から森に遊んだけど、始めて一人でそんなに深く行くところだから、不安でした。   
   森は美しいが、暗いでした。女一人で怖い森を歩くのは危険なことですが、仕方がありませんでした。アリスは茂みを求めて、木の下も求めて、それにとげの中まで手を入れていました。すぐ、お日様は空から下がって、暗い森を闇に溺れさせました。今日中に家に帰らなければならないのに、赤いとげのべーリはどこでもないでした。怒ったアリスは泣いてしまいました。
   「泣かないで、アリス。」誰かの声が言いました。アリスは目を開けると、黒い服を着た黒い髪の男の人がアリスに微笑んでいました。「だれですか?」アリスか聞きました。「アリスさんをよく知ってる。小さい時に一度会ったことがあるから。」男は言いました。アリスは、「でも、私はあなたの顔も見たことがありません。」と言いました。「大丈夫。記憶しなくでもいいよ。なぜないているの?なぜきみのてできずがあるの?」男が聞きました。アリスは自分の状況を説明しました。
   男は静かにアリスの話を聞きました。それから、「赤いとげのべーリは人の世界でなかなか探さない。」と言いました。「では、私はどうすればいいですか?」アリスが聞きました。男はまた微笑みました。「でも、俺は赤いとげのべーリがどこにあるか知ってる。それがほしいなら、来月、俺といっしょに要請の国に帰ってくれ。」アリスはお父さんとお母さんと暇乞いしたくないですが、この優しい男を嫌わないでした。それに、お母さんを早く直したいでした。アリスは「はい。」と言って、赤いとげのべーリをもらって、家に帰りました。
   それから、アリスのお母さんは元気になって、お父さんも嬉しいでした。でも、アリスはその中でちょっと悲しいでした。約束の日、アリスは夜中に家を出て、森の深いところに行きました。同じ男が同じ場所で同じ笑顔で待っていました。アリスはもう一度だで家の方を見て、男の手を握っていました。
   あの日から、だれも「アリス」と言う綺麗な女の子を見た人はないでした。

2010年2月26日金曜日

ティファニー・カーターさん

かわいそうな蛇

太平洋の熱帯の島で悲しい蛇が住んでる。悲しい蛇は足がほしいです。足を持っていなかった。走りたい、ジャンプしたいですが、だれも友達になりたくありません。それに、ほかの蛇の動機を全然わからなかった。ひとりで遊ぶことはつまらなくて、さびしいです。どうやって足を成長するを毎日考えました。一夜、夢を見ました。夢に神が「足を持つ動物を食べれば、足を成長することができますよ。」そして、次の日に足を持つ動物をさがしました。
葉の下にマウスを見つけて、食べましたが、足がまだ持っていなかった。後で木の枝に鳥を食べました。鳥とマウスの足が小さすぎるかもしれません。おなかがいっぱいですが、がばりました。タランチュラが8脚を持ちますので、タランチュラが食べなければなりません。たしかに、すべての8つの足を必要じゃありません。
蛇さんの希望を失っていました。蛇さんは旅の中にトカゲに会った、びっくりしていました。「その蛇が足を持っている!」と蛇は考えました。どうして成長しなかった?じゃ、大きいな足を食べなければならないでしょう。大きい足を見つかれることを考えて始めました。
その瞬間、カエルのしわがれ声を聞きました。カエルは大きくて、強い足を持っている。もちろん、カエルを食べれば、足が表示されます。でも、カエルがなかなか捕まえられないし、それにおなかがいっぱいでした。池のほとりにカエルさんと話をかけました。カエルさんは卵を産んだばかりでした。カエルさんは「ねえ、おたまじゃくしの足が成長し、カエルになることを知りましたか?」と言いました。蛇さんはとてもびくりしました!どうやっておたまじゃくしはカエルになりますか?どうやって足を成長しますか?
突然に蛇さんは泣きました。「えっ、なにがありましたか?どうして泣いているの?」とカエルが聞きました。「それでもたくさんの動物を食べた後、足を成長することができません。友達を作ることができません。何すればいいですか?」蛇さんと言いました。「蛇さん、あなたは足をとても成長できないことは現実だけど、私たちは友たちだ!毎日遊んではいい!気にしないでください。」とカエルさんが言いました。それから、動物を吐きました。マウスと鳥とタランチュラと新しい友達のカエルさんと遊びました。蛇さんはユニークであることが分かりました。蛇さんは永遠に幸せでした。

2010年2月25日木曜日

アンナ・ぺスートさん

灯台

   昔々、海の近くにイルーションという小さい国がありました。イルーションのドリムという町に住んでいた男と女がいました。男はジェームズと言って、女はアリスと言いました。子供の時から、ジェームズとアリスはいい友達でした。大人になった時、恋するようになりました。
   高校を卒業した後で、ジェームズとアリスは結婚しました。イルーションは海の近くにありますから、海が大好きでした。海の辺に住みたいそうでしたけど、辺の家を見つけにくかったです。灯台(ライトハウス)だけありました。その灯台は白くて古かったですけど、すごかった。高い崖の上にありました。海を見ると美しい景色を見えました。ジェームズはアリスに「ここで住みたいですか」と聞いて、アリスは「はい、とてもきれいだね」と言って、すぐここで住んでいました。
   季節を変わって、秋が来ました。イルーションの近くにあるリアルという国はイルーションをやっつけました。それから、イルーションは戦争を始めました。イルーションの陸軍と海軍はドラフトを強行しました。それで、ジェームズは行かなければなりませんでした。海軍に入隊して、10月に出ました。
   アリスはとてもさびしくて悲しかったです。愛しい人は遠かったです。アリスはほかのことを思ってみましたけど、ジェームズのことを思ってしまいました。毎日、戦争の終わりを待ちました。毎晩、灯台の電気をつけて、灯台の上に立って、一人で泣きました。 毎月、ジェームズはアリスに手紙を書いてあげて、送りました。でも、ジェームズは海にいましたから、アリスは手紙を送りませんでした。
   たくさん季節を過ごして、まだ戦争を終わりませんでした。夏でした。アリスは2ヶ月手紙を待っていましたけど、手紙を来ませんでした。あの8月の日には、やっと、アリスは手紙をもらいましたけど、ジェームズは書いた手紙じゃありませんでした。海軍から手紙でした。手紙は「リアルの海軍にジェームズの船を沈没されました。ジェームズは死んでしまいました」と言いました。アリスは信じられないことと思って、泣きました。
   ジェームズを死んだ後で、毎晩、アリスは灯台を上って、電気をつけて、海を見て、電気でジェームズの船を探してみました。探しまして、待ちました。毎晩、毎晩。灯台しかありませんでした。
   たくさん年々を過ごして、まだジェームズの船を灯台の光で探して続きました。アリスは老年になりましたけど、あきらめませんでした。後ほど、アリスも死にました。
   ドリムに住んだ人々はジェームズとアリスのことを知っていました。アリスが死んだ後で、人々はアリスの泣き声をまだ聞こえると思いました。この日まで、崖の上の灯台の光は暗い海を照らして続きます。

ホンイェン・チェンさん

ある所に、頭がいいペンギンがいました。ペンギンはいつもほかの鳥が上手に飛ぶのを見て、ペンギンも飛べるようになりたいと思っていました。何回も飛ぶ練習をしたのに、いつも怪我をするばかりで失敗し、ほかの鳥達に笑われてしまいました。それでも、ペンギンは空に行くのをあきらめたくなかったのです。そこで何か飛べる機械を作ることにしました。一ヶ月の頑張りの後、飛べるサーフボードを作ることができました!そのサーフボードは、空にも海にもどこにも行けるし、一時間で地球を一周できるし、とてもすごいものでした。それに、手がフラットなペンギンでもサーフボードが簡単に使えるための機能が一つありました。サーフボードはペンギンの声で動かすことができるのです。ペンギンが上に乗って“○○にゴー”と言うと、サーフボードは そこまで飛びました。

サーフボードを完成した後、ペンギンはとでもうれしくて、サーフボードに乗って、色々な所に行きました。行った所は全部太陽の輝きがある所でした。ペンギンは、ニューヨークで、自由女神と握手をしました。オーストラリアで、カンガルーに乗りました。ヒマラヤの上で、白黒のペンギン フラッグを立てました。北極で、オーロラ とダンスをしました。死海でsalty water のお風呂に入りました。ドイツで、グリム童話のかえるの王子と食事をしました。イタリアのシチリアでは、マフィアと かくれんぼをしました。そのほかにもサーフボードでたくさんの所に遊びに行きました。毎日がとても楽しいペンギンは、本当の冒険をしてみたいと思うようになってきました。ある夏の夜に、ペンギンが台湾で蛍を追いかけていた時、思いました。蛍は空の星みたいだ、空の星に行けば面白いなと思いました。

この宇宙への冒険の最初の星は月にしました。ペンギンは、宇宙に行ったら、どんな物が必要か考えて、準備しました。例えば、宇宙での食べ物や宇宙の服を作持っていかなければならないし、 酸素のタンク も準備しなければいけません。出発の日が来ました。宇宙の服を着て準備OK!、“、、三、二、一、ゼロ、行ってきます!” サーフボードはペンギンを乗せて空へ飛んでいきました。すぐペンギンの家が見えなくなりました。少し後、曇しか見えなくなって。、またその少し後、丸い地球が見えるようになりました。ペンギンはお目目を大きくして、地球は本当にきれいねって思いました。サーフボードが月を接近してきたので、月の様子がよく見えるようになりました。サーフボードが月に着きました。月の重力は地球の1/6なので、ペンギンは軽くなって、ちょっと浮きました。おー!とても面白いって思いました。月のある所に、アメリカのフラッグと月に来た人のステップを見つけました。ペンギンもそのそばに、ペンギンの足のステップ(宇宙服のステップ?)を残しました。そろそろ帰る時間でした。ペンギンはサーフボードに乗って、“地球にゴー”って言いました。“あっ!大変だ!サーフボードが動いてくれない!” ペンギンは“地球にゴー”って何度も何度も言いました。 “あっ!声は空気がないでは伝わらない。”

アマヌエル・アブラハムさん

ずっと前に遠いのぎんがのプラネットにきゅうどうを勉強するの子供がいました。名前はラドクリフでした。小さいの町に住んでいました。毎日きょうどうを勉強しましたから、町のきょうどうの一番の学生でした。町のきゅうどうの学校で授業の後で練習する時に、変な手紙は来ました。手紙が、「南の町から、シッド先生へ」と言った。ラドクリフはシッド先生に行って、手紙をあげました。シッド先生は手紙を開けって、おちました。ラドクリフが「先生!」と言った。シッド先生が、「早くまじゅつの学校に行って、ガリ先生と帰ってください!」と言った。それから、シッド先生は寝始めました。ラドクリフはなるべく早くまじゅつの学校へ走って、ガリ先生をさがしました。ヴィヴィという友達会いました。ヴィヴィが「ラドクリフ!いっしょにおこのみやきを食べたいですか?」と聞きました。ラドクリフが「ごめん!ごめん!シッド先生はきずつきますから、食べられない!ガリ先生はどこですか?」と言った。後の声が「こちらがいます。何ですか?」と言った。ヴィヴィもラドクリフが「びっくりした!!」と言った。ラドクリフが「ガリ先生、シッド先生はあぶないの手紙を開けましたので、私ときょうどうの学校に行っていただけないでしょうか。」と聞きました。ガリ先生が「もちろん、行けましょう」と言った。きょうどうの学校で、シッド先生はまだ寝っていました。ガリ先生はまじゅつでシッド先生にたすけてみました。しかし、たすけられませんでした。手紙を調べって、「これひどいのまじゅつですね!」と言った。580シッド先生を治すの薬はその町にあれませんでした。ガリ先生が「北の森の中にどうくつがあります。薬はあそこのどうくつの中だけがありま。今行かなくてはならない!ラドクリフ、町の北の門へゆみも、水も、食べ物を持ってきて、私と会いてください!」と言った。ラドクリフが「馬も持って来なくてはいけないですか?」と聞きました。「だめです。馬はあの森にいつもこわげますから。」と答えました。四時ぐらい歩いて、どうくつを見つけました。どうくつに入って、さがし始めました。ガリ先生が「むらさきの花をさがしてください」と言った。三十ぷんぐらいさがして、ラドクリフは見つけました。ガリ先生が「いいよ!よくできました!。じゃあ、早くシッド先生へ帰りましょう!」と言った。にわかに大きい声を聞きました。「だれが私の家に入って、私の晩ごはんを取っていますか?!!」ラドクリフもガリ先生は後に見て、とてもこわいなドラゴンを見ました。932ラドクリフが「私の先生お治すのために、この花を取させていただけないでしょうか。」と聞きました。ドラゴンが「そうですか。お前の先生はだれ?!」と聞きました。ラドクリフが「ほんとうごめんなさい!私の先生はシッドさんです。たすけていただけないでしょうか。」と答えました。ドラゴンが「シッド先生?!シッドは私の友達だ!花を取ってください!だけど、この花を使い方が上手ですからわたしも町へ帰らなくてはいけないよ。それに、シッドの町に世界の一番のおこのみやきがありますね。森の料理はすまらないになります。私の生スタイナーです。どぞよろしく!」と言った。

クナル・カラニさん

「たばこ」

僕は、たばこ。
今日、工場から出荷されて来たばかりなのに今は、熱いアスファルトの上にいる。
僕を買った青年が、あまり良い環境で育ってないのだろう。僕は、灰皿にも入れられ
ず、くしゃくしゃにされて、地面でただ静かに待っているだけ。
何を待っているかって?僕を拾って、灰皿に入れてくれる人を待っているんだよ。
ココは、インドのムンバイ。そんな人が現れるはずがない。ここがもしシンガポール
なら、すぐにでも拾ってくれるだろうに。タバコの生産工場で働いているおじさんの
話によれば、シンガポールでは、僕を捨てた瞬間に罰金を払わされるのだそうだ。な
んて、良い国なんだ。なんてことを思い出したりしていると、雨が降って来た。イン
ドでも雨が降るんだな。あ、これがモンスーンか。だんだん、熱いアスファルトが冷
たくなってきちゃった。モンスーンは、ただの雨じゃないな。かなり激しい。僕は、
勢い良くアスファルトの上を押し流されるように様々な場所に流された。僕は、流さ
れながら目に入ってくるムンバイの町をただ、静かに見ているだけだった。あっとい
う間に、ガンジス川に到着した。ガンジス川は、茶色く濁っていてお世辞にも綺麗と
は言えない川だ。ここで、人々は生活のための水とともに暮らしている。生まれてか
ら死ぬまで。この土地で生まれた人は、死んだら最期にこの川に流される。そう、こ
の川の中は死体だらけだ。ここの土地の人たちは、怖いなんて考えもしない。むしろ、
神聖な場所として受け止めている。僕もこの川に流されているということは、最期な
のかな・・・。タバコって、紙から出来ているから、水にはとても弱い。もう、僕の
体はボロボロだよ。もう疲れてきちゃったよ。もう何日が経っただろうか。モンスー
ンは去り、僕はインド洋の海岸に流されていた。漂流して来たのだ。僕の周りには、
同じように漂流してきた友だちがたくさんいた。空き缶だったり、花火の残骸、そし
て流木がたくさん。みんな、疲れた顔をしている。僕は、皆の顔を見て、元気づけよ
うとした。歌を歌ったり、お話をしてみたり。でも、誰も僕の歌や話に耳を傾けよう
としなかった。それどころか、「黙れ」と言われて僕は静かになった。「黙れ」と言
ったのは、流木だった。流木は、そう言った後、「俺らはな、もう無理して元気を出
さなくても良いんだ。もう、役割は終わったんだ。」タバコは、目をウルウルさせて
聞いた。「もう、ゆっくり休んでいいんだよ。」そう、優しく呟いた流木は、また、
海に流されて行ってしまった。その姿は悲しそうでもあり、何かを語りかけるようで
もあった。そうして、そうして、僕の短いようで長い人生は終わりを告げた。

キム・ヨジンさん

昔話
ー 子犬パピとお母さんー

   むかしむかし、いなかある町にお母さんとしそくがいっしょに住んでいました。おっとが早い死んだが、おかあさんはしそくとねっしんに働きました。その二人は、のうじをして、しちょうでのうさんぶつを売って生活をいじしました。二人でいっしょにのうじをして、しそくが物をほかのまちのしちょうに行って売りました。しかしのうじをたくさんしたが、しちょうで物は売れなくていつもまずしかったでした。
   ある日、お母さんはのうじをしるのを終わって家に帰る時に捨てられた子犬一匹を見ました。自分もまずしいが、子犬がかわいそうだと思ったお母さんは子犬を家に連れて育てることにしました。家に到着した子犬はまずしい家を見て、まずしいが自分を育てくれることにしたお母さんか本当にぜんりょうだと思って感謝しました。お母さんはこの子犬の名前をパピと作りました。
ねっしんにのうじをしたが、まずしい家族を見て悲しんだ子犬パピはある日しそくといっしょにしちょうに物を売りに行くようになりました。その日運が良くもしそくは多くの物を売ってお金をたくさんうけました。子犬パピは気持ちが本当にいかったでした。ところで変たことがありました。お金をたくさんうけて家に帰る時でした。ある山にあるどうがをこえるのに、しそくが一どうくつを尋ねました。そこにはお金が本当にたくさんありました。実は毎日しちょうから家にかえるとき、ようしんがおおいしそくがお金をこっそにかくしたのでした。をれで家はいつもまずしかったのでした。それを見た子犬パピはまずしいお母さんを思わないで自分のよくしんだけ思うしそくに頭に来ました。
   のうをした子犬パピは毎日その山に行ってどうせんを一つずつ持ってくることにけっしんしました。しかしその山は遠なったでした。朝早く出発すれば日がくれて家に到着しました。子犬パピはそのどうせんを寝ているお母さんのそばに置きました。
   毎日朝に起きればお金があることを見てお母さんは変だと思いました。子犬パピが家にない次の日ならお金が入ることを見て、お母さんは子犬パピが他の人のお金を盗むと思いました。自分を思ってくれる子犬パピの心が暖かいが、盗みはだめだと子犬パピ むごい目に会わしました。ものを言えない子犬パピはいきぐるしかったでした。
   ある日、急にお母さんが病気でたおれるようになりました。お金でくつりを買わなければならないのに、よくしんがおおいしそくはあいかわらずお金をかくしてなりました。子犬パピ山でお金を全部持って来たかったが、多くのお金を持って来ることができなかったでした。そのする中に子犬パピは一方を考えしました。子犬パピはその町に住んでいるねずみを呼びました。そしてお母さんとしそくの話を言った後、山でおのおのお金を一つずつ持って来るとたのみしました。五百匹のねずみがその山へ行ってお金持って来ました。お母さんの家にお金がたくさんしょうじたし、子犬パピはいしゃを呼んで来ました。 お母さんがすべておさまた後, お母さんは子犬パピがお金を盗まなかったということを分かりました。 盗むにはあまりにも多いお金でした。子犬パピはお母さんを連れてその山に行きました。多いお金を見てお母さんが変だと思って、次にしそくがしちょうに行く時おかあさんがこっそり追っていきました。それからすべての事実を分かるようになりなしました。
   家に帰ったお母さんはしそくをひどい目にあわせりました。しそくは事実を話して、山でお金を持って来ました。お母さんはお金の半をいたいたしい人々にくばりました。そしてぜんりょうな子犬パピといつまでもいつまでも幸せにくらしました。

キンバリー・ソングさん

赤さんと白さん

   むかし、一人ののうぎょうけいえい者はマレーシアに住んでいました。こののうぎょうけいえい者は娘が一人いました。しろいはだなので、そののうぎょうけいえい者の娘の名前は白さんでした。白さんはとてもきれいな女性になりました。子供の時、白さんのお母さんがなくなりましたが、白さんはさびじくならなかため、かのじょのお父さんは知らない女性とさいこんしました。その友人の女も娘が一人いました。この娘の名前は赤さんでした。赤さんは白さんのぎし姉妹になっていました。
   赤さんとかのじょのお母さんは白さんがきれいであることをうらやんでいました。しかし、白さんのお父さんが亡くなると、ぎりとぎしはますます白さんに対してひどくなりました。白さんのお父さんがなくなった後で、白さんのぎぼとぎし妹ともひどいになりました。白さんは色々な家事をさせました。きりきざんだり、買い物をしたり、とても困りました。白さんはとても悲しいので、近くの川で泣きました。彼女は両親がいなくて、さびしいのです。
   とつぜん、魚はどこからともなくあらわれました。その魚は白さんに「なかないでください」と言いました。死の前に、毎日白さんのお母さんはその魚に食べ物をやりましたので、おんがえしがしたかったのです。その魚の言うことを聞いた後、白さんはうれしくなりました。そして、白さんは魚に思うことをうちあけました。しかし、白さんにとってふうんにも、ぎぼは魚と白さんがしゃべっているのを見て、相談を聞いていました。
   ある日、白さんはぎぼが魚つりに行かせました。それから、ぎぼがひどいので、その魚を使って、料理をして食べました。白さんはその魚が料理に使われたことを知りませんでした。ある夜に、白さんはゆめがありました。白さんのお母さんが、家の後ろに、その魚のほねをうめさせました。次の日、白さんは魚のほねを集めて、アリのすといっしょにうめました。朝がた、白さんが起きたら、魚のほねをうめた場所に大きいな木が立っていました。その木のえだに金せいのブランコをつるしました。
   毎日そのブランコに乗りながら、白さんは一人で歌を歌いました。かのじょはきれいな声で歌いました。赤さんとぎぼは白さんがいつもかのじょをうらやんで、白さんの白さんの歌ごえがきらいでした。でも、白さんはそのことを気にしませんでした。また、だれも心配させるので、そのことについて何も言ってはいけませんでした。ある日、白さんの歌うことはおうじが聞けました。「それはだれの声ですか」と聞きました、もとめました。おうじのごえいはその声をくわしく調べました。
   最初に、赤さんはおうじにうそをつかれました。かのじょは「あの声は私の声です」と言いました。しかし、ごえいは白さんと赤さん、りょう方に歌を歌わせました。そして、赤さんは歌声が白さんのだということをみとめました。ついに、きれいな声だけでなく、きれいな女性なので、おうじは白さんと結婚しました。そして、みんないつまでもしあわせにくらしました。

ソル・ダイヨンさん

私はだれのねずみでもない

   あるあたたかい春の日でありました。日本にはならと言う小さくてきれいな町がありました。 その町にはサクラと言うおもちゃ店がありました。 その店はいつもきれいな人形たちが いっ-ぱいでした。 ところで、その店にはひ-みつが一つありました。毎晩 12時が過ぎると人形たちが眠りで覚めました。 眠りで覚めた人形たちは朝の日が のぼるまで 夜の祭りを 楽しもました。 兵丁人形たちはがっきをえんそうしました。 バレーリナ人形たちは音楽に合わせてダンスをしました。 ほかの人形たちももろともに歌を歌って祭りを楽しみました。そのように人形たちは毎夜、人形たちだけの楽しい祭りを楽しみました。しかし人形たちにはなやみがありました。いつも人形たちはいつ自分たちの主人に会うかなやみました。 また、どんな主人に会うかそうぞうしました。
   ある日夜, 人形たちはいつものように自分たちの祭りを楽しんでいました。ところで、きゅうに小さなねずみいっぴきが店の中に入って来ました。人形たちは初めに見るその小さなねずみがとてもふしぎでした。そして、店の外の世界をわがまま歩き回るねずみがうらやましかったです。人形たちはそのねずみの主人がしりたかったです。人形たちはねずみにうかがいました。“おまえはだれのねずみなの?”。ねずみは人形たちの質問が変だと思いました。 人形たちはもう一度質問しました。“おまえはだれのねずみなの?”。 そうすると、ねずみは答えました。“私はだれのねずみでもない”。人形たちはねずみの話しをりかいすることができなかったです。どして主人がないか, 毎日毎日自分たちの主人だけ待ついる人形たちはりかいすることがぜんぜんできなかったです。人形たちはもう一度聞きました。“ねずみよ, それではお前はどこに住むの?”。“ねずみよ, おまえはだれと住むの?”。人形たちの質問は絶えなかったです。“私はこのおもちゃ店の隣のげすいこうで住んでいる。私は毎日毎日むらじゅうを歩き回るよ。 春ならきれいなさくら花をみて, 夏なら凉しい川に水泳もして, 秋にはきれいなもみじ も見て, 冬には白い雪も見る。そして、私は毎日おいしいチーズやパンを食べる。この店の外界は本当にいい所よ”。人形たちは本当におどろきました。そして、小さなねずみがうらやましかったです。人形たちも小さなねずみのように外界で出たかったです。しかし、新しい朝日が浮び上がっていました。 人形たちはまた主人を待つ眠りにおちました。

アヤ・リュウゾウジさん

探偵ブラウニーとトゥルーメン

   テレサとフリーシアは大学でのルームメイトで、とても仲がいい友達でもあります。テレサはトゥルーメンと言う名のコーギーとフリーシーアはブラウニーと言う名のミニチュアダックスフンドを飼っています。いっしょにお泊り会をすることになったのでその機会にブラウニーとトゥルーメンを紹介すことにしました。   お泊り会の日に、テレサはフリーシアの家へ向かいました。フリーシアの家に着くとすぐに二人はブラウニーとトゥルーメンを同じ部屋に置いて遊びに行ってしまいました。ブラウニーはチョコレート色で日本の昔の天皇のような茶色い点々の眉毛がありました。トゥルーメンは茶色と黒と白の毛でした。
   ブラウニーとトゥルーメンはしばらくたつと相手に興味を持ち始めました。ゆっくりしんちょうに二匹は相手に近ずきました。ブラウニーはトゥルーメンに言いました。
   「この家は、俺様のりょうちだ!トゥルーメンは俺の言うこと聞かなきゃいけないんだぜ。」
   トゥルーメンはブラウニーに
   「しょうがないな。今日はブラウニーの家だから言うことを聞いてやろう。」
   「それじゃ俺たちは今日だけ探偵になろう。この家を隅から隅まで調べるぞ。」とブラウニーは言いました。
   一番に向かったのは、台所と言う場所でした。背の小さいブラウニーとトゥルーメンは上を見ながら歩き始めました。左側のキッチンテーブルキャニオンと右側のたまに寒い風を通す冷蔵庫キャニオンの間の谷を歩き始めました。途中でパンの耳を見つけました。ブラウニーとトゥルーメンは調査に入りました。
   「これはこれは不思議なものが落ちてますね。」
とブラウニーが言うとトゥルーメンは
   「これは、確か、パンと言う人間たちの食べ物です。」
トゥルーメンのコメントについてブラウニーは
   「そうですか、では、このパンは食べてみないといけませんね。」
   ブラウニーとトゥルーメンはパンの耳を半分こにし食べてみました。何だかトゥルーメンには、ぱさぱさした味があるのか無いのか分からない食べ物でした。でも、ブラウニーは、おいしいそうにもぐもぐ食べていました。
   谷の捜索の後に、いすトンネルやピアノのとりいなどをくぐりたどり着いたのは階段と言う名の坂でした。ブラウニーとトゥルーメンは階段の坂を下から上にと見てため息を吸い込みました。長い大変な探検になりそうでした。実はこの坂を上るのは禁じられていました。でも、ブラウニーはあまりの興味深さに負け一歩一歩階段の坂を上って行き、トゥルーメンはブラウニーの後をついて行きました。階段の坂の先は真っ暗でちょっと不気味な所でした。トゥルーメンはちょっと怖くなり一瞬戻ろうかと思ったけど、ブラウニーがどんどん先に行ってしまったので、トゥルーメンは勇気を出してブラウニーの後をかんばってついて行きました。
   階段の坂の上にたどり着くとブラウニーとトゥルーメンは一休みしました。すると、何だかとてもいい匂いがぷうんぷうんしてきました。その匂いが漂っている方を向くと、そこの暗闇の中に光が見えました。光のほうに引かれて歩いていくと、そこにはドアがありました。二匹は、いっしょに静かにドアを開くと、テレサとフリーシアが部屋の真ん中に座っていました。
   突然大きい声でブラウニーとトゥルーメンの名前が呼ばれました。びっくりした彼らは、くるくる走り出しました。気がつくとブラウニーはフリーシアにトゥルーメンはテレサに抱かれていました。撫で繰り回されながら二匹ともフリーシアとテレサからもらったビスケットを食べていました。ブラウニーとトゥルーメンはこの一日で友人と言える仲になりました。

リュウ・シンさん

とある魔王の物語

   とある島の中で、一人中年の男が自分の娘と息子にこう言った「母さんは悪い人に捕られた。俺は母さんを助けに行く。ここの七日分の食物と水がある。もし七日後、俺はまた帰っていないなら、君たちはその門の向こうへ行く」。そして、男はそこにある門を指差した。その門は普通の門ではなかった。竜の世界へつながる門でした。娘とまた幼くて、まともに話すことすらできない息子は涙目で彼を止めようとしたけど、彼は振り向かうことなく、自分の子供たちを後にした。
  でも、彼は結局自分の妻を助けることができなかった。彼が島に帰るとき、もう八日目でした。彼の娘と息子はそこにいなかった。「竜の門の向こうへ行ったのか?」彼はこう思うしかなかった、けど竜の門はすでに閉じていった。もう一度竜の門を開けることは、絶大の魔力が必要だ。だから、彼は誓った、「たとえどんな代償を払うとしても、絶対にもう一度竜の門を開ける」と。それから、彼は闇の魔法を習い始めた。闇の魔法はとっても強いけれど、習えば習いほど、自分を侵蚀する、そして自分というものを失くしてしまう。そして、彼はいつしか自分の最初の目的から、自分の娘と息子のことまで、何もかも全部忘れ、ただ「たとえどんな代償を払うとしても、絶対にもう一度竜の門を開ける」という執念だけを覚えていて、信じていて生き続けていった。
  そして、時は流れ、一千年後、闇の魔法のおかけで、彼はまだ生きていた。この一千年間、彼は一人の力が竜の門を開けるのは不可能ということを悟れ、人の魂を集め始めた。だから人々は彼を魔王と呼び始めた。大勢の命は刈られた、そして彼はやっと竜の門を開けた。そこに出てきたのは、まさしく彼の娘と息子だ。けれど、魔王はすでに彼らのことを忘れた、娘と息子も、変わり果てた父親を分からなかった。だから、悲劇が起こった。魔王はまた竜の門を開けたいから、自分の娘と息子を生贄にしようとした。その時、竜の門の異変を察した勇者たちがやってきた、間一髪で娘と息子を助けた。
  けど、魔王はまだ諦めなかった。この一千年間で追い求め続けたことを、簡単に諦めるわけにはいかないんだ。戦火が繰り返し、そして戦いの末に、魔王は自分の命を生贄にして、竜の門をもう一度開けた。巨大な火竜が三匹出てきた。火竜が吐き出した炎の中で、魔王は狂笑とともに消えていた。伝説の火竜の前で、たとえ勇者たちもどうしようもうなかった。その時、魔王の娘が氷竜の姿になって、火竜の前に舞い降りた。彼女の手助けのおかけで、二匹の火竜は門の中に戻った。残った一匹は、勇者たちが必死で消滅した。
  そして、正体が知らされた魔王の娘と息子は、門の中に帰ろうとした。竜は人の世界に居てはいけなかった。けど、すでに彼女と恋に落ちた勇者が彼女を留めた。皆の祝福を受け、二人はやっと「たとえどんな困難でも、二人ならきっと乗り越えていける」と決意した。彼女の弟も安心して、二人に「お兄ちゃん、お姉ちゃん、幸せでいてね。僕は一人でも大丈夫だ」という言葉を残って、竜の門の中に戻った。
  もし、あの世に行った魔王がそれを知ることができたなら、彼はどう思うかな。喜ぶだろうか、それども、まだ娘と息子のことを認識できないのか。彼の一千年の人生はいったいなんだろうか、それは誰も知ることができない、闇に埋葬された真実に過ぎない。

アマンダ・バーネットさん

話話

   むかしむかし、ある所に。あの所では、高い山や、青い空や、こい森や、ふかい海がありました。春の時、きれいな花がさくし、赤ちゃんが生まれるし、森でさくらの木もさきました。夏の時、天気は温かいになるから、いつも外で、みんなさんといっしょに遊びました。秋の時、木の葉の色が変わるし、食べ物をしゅうかくしました。冬はとてもみじかくて、少しだけ寒いから、あぶない時ではありませんでした。つまり、季節はとてもいいから、あの所では住み安いですした。だから、色々な動物がいました。
   最後に、動物が多いすぎる後で、あの所は四つの王国に分けました。森の王国と海の王国と空の王国と山の王国です。そして、どの王国で王様がいました。森の王国の王様は「リオ」という強いライオンで、海の王国の王様は「フリッパー」というそうめいないるかで、空の王国の王様は「ヘンリー」という速いたかで、山の王国の王様は「ポ」という静かなパンダでした。毎年、中立のりょう土で、王国の王様といっしょうに会いました。そこは、お互いをなかよくするために、じょうやくを作るし、といっしょうにすべての王国に旅行しました。そして、王国の間に、お見合いをじゅんびしました。
   この話話のある時、リオ王様とフリッパー王様はポ王様の娘のお見合いすることを話しました。でも、両方はむす子がいるから、じゅんびしにくいでした。
   「僕のむす子は一番いい王子ですよ。」リオ王様をじまんしました。
   「僕の王国では、一番静かなハンターですから、ポ王様の娘に結婚すればいいのによ。」と言いました。
   「えええ。」フリッパー王様をさけびました。
   「違う!違う。リオ王様は本当に違います。僕のむす子は本当に一番いい王子です。」と言いました。
   「海の方が森よりあぶないから、僕のむす子は一番強くて、ゆうかんな王子です。ですから、ポ王様の娘と結婚した方がいいです。」フリッパー王様を言いました。
   「ええ?僕はばかじゃないよ。森の方が本当にあぶない。海では、何がこわいですか。のりとか、魚とか。。。は!は!は!フリッパー王様、森では、本当にこわい物があります。大きいくまとか、おおかみよか。。。」リオ王様を言いました。
   「は!海でもこわい物があります。。。」フリッパー王様を答えました。
リオ王様とフリッパー王様を言いあらそう間に、ヘンリー王様とポ王様といっしょうに話しながら、この言いあらそいを見ました。
   「わあ!リオ王様とフリッパー王様は本当にばかですよ!」ヘンリー王様はポ王様にささやきました。
   「そのことわざは正しいですね、ポ王様。本当に、「ばかにつけるくすりはない」らしい。」と笑いました。
   「。。。あっ。」ポ王様を答えました。
   「うんん。。本当です、ポ王様。」ヘンリー王様を言いました。
   「さあ、さあ。。。いつそのばかたちの言いあらそいをやめさせましょうか、ポ王様。」ヘンリー王様をささやきました。
   「。。。あっ。」ポ王様を答えました。
   「はい、はい。。。ポ王様はいつも正しいね。ああ。。。しかたがないね。。。しましょう!」へんりー王様はためいきをつきました。
ヘンリー王様は大きい声で、「すみません!」とどなりました。
   びっくりするので、リオ王様とフリッパー王様は静かになりました。でも、少し後で。。。
   「なにを?」リオ王様をどなりました。
   「この言いあらそいはむいみです。」へんりー王様を言いました。
   「むいみ?」フリッパー王様をささやきました。
   「なぜ?」リオ王様とフリッパー王様をようきゅうしました。
   「あのう。。。それは大変ですね。」ヘンリー王様を笑いながら、答えました。
   「あのう。。。実は、昨日、僕のむす子とポ王様の娘といっしょうに。。。かけおちしました。それから、ポ王様の娘のお見合いことがむりです。」
   「む。。。り?」リオ王様を言いました。
   「ほ。。。本当ですか、ポ王様。」フリッパー王様を言いました。
   「。。。あっ。」ポ王様を答えました。
   この問題後で、リオ王様とフリッパー王様はまた静かにしました。でも、少しだけ後で。。。
   「ね。。。フリッパー王様。」リオ王様を言いました。
   「はい。」フリッパー王様を答えました。
   「まだ。。。まだ森の方が一番いいよ。」
   「ええ?!違う!違いますよ!」
ヘンリー王様はためいきをついて、てんじょうを見せました。
   「ああ。。。まったくね、ポ王様。」
   「。。。あっ」ポ王様を答えました。

終わり

2010年2月2日火曜日

ティファニー・カーターさん

                         冬休み


冬休みにインデイアナプリスへ帰りました。妹もパーデュー大学生ので、一緒に帰りました。インデイアナは寒くて、つまらないですが、うれしかったです。家族もうれしかったと思いました。とてもリラックスしました。週末にはのらくらして過ごしました。よく寝ました。私の家に5人がいます。父と母と叔母と妹がいます。叔母は毎日買い物します。私も毎日買い物に行ったら、すばらしいだと思います。父はいつも仕事するのに、いい男です。何かこわれるなら、すぐ直せます。
母は店長です。毎休みに母と一緒に毎日はたらきます。ジュエリーが売ります。仕事の後にレストランに行くか家で料理するかきめます。料理するをきめたら、スーパーに行きます。そして、私と妹と母は晩ご飯を作ります。それから、家族全員一緒に食べます。家族が大好きです。晩ご飯のあとで、母と映画とかドラマとか見ます。冬休みに花より男子と言うドラマを毎晩見ました。母は花より男子が大好きでした。シーズン1と2を見ました。とても面白かったです。聞く練習ができました。でも、母は日本語がわかりませんから話す練習ができませんでした。
-日、家族と映画館に行きました。一番大好きな映画を見ました。Avatarと言う映画です。とても長い映画ですが、誰も寝てしまった。全員映画が好きでした。CGとストリーがとてもよかったです。かんとくがよくできました。DVDをかうかもしれません。
友達と遊ぶことは一番楽しいです。よく買い物に行きます。でも、何も買わない。歩く、見るだけです。友達とパーティに行きます。友達は今インデイアナ大学でいます。そして、パーティがよくします。パーデュー大学に来る方がいいだと思います。
冬休みが終わった時に、パーデューに行きたくなかったです。休みに家族と友達と遊んでいてたのしかったです。授業に行きたくなかった。宿題をしたくなかった。でも、しなければなりません。そして、春休みまでに、パーデューでがんばります。

2010年2月1日月曜日

キンバリー・ソングさん

ふゆやすみについて


   私のファイナルの試験は十二月十八日までに終わりました。三月間前に、私はアレックザンドラさんと相談したから、アトランタに行く予定でした。私は、冬休みの前に、アトランターに行ったことがありませんが、とてもうれしかったです。
アレックザンドラさんは、その日曜日に、午前四時からアトランタに運転して行きたいでした。私はそのことが無理と思っていました。問題、私のボーイフレンドの勤めている会社は、その土曜日の午後に、クリスマスパーティーがありました。私はボーイフレンドといっしょに行きたいので、インデャナポリスで一晩泊まりました。アレックザンドラさんは、午前六時半に、インデャナポリスを通りながら、私に会って、アレックザンダさんの車に乗って、行きました。その運転のは八時間ぐらいでした。
アトランタに着いた時、すぐにきずいたじゅうよおなてんはアトランタの天気でした、とてもいい天気だから。パデュー大学よりアトランタのほうがいい天気でした。全然雪がふらなかったです。ふといジャケットが着ないことができました。アトランタで、毎日色々なことをしました。一つ目の晩に、私はアレックザンドラさんといっしょにレストランで晩ご飯を食べました。でも、毎日レストランにいくはとても高いでした。時々、家を出ないの日、アレックザンドラさんと料理をしました。私は少し下手から、大多数料理することはアレックザンドラさんにしました。クラブにもよくいきました。私はダンスが大好きです。
新年、アレックザンドラさんといっしょにアトランタの都心に行きました。アトランタはジョージャ州の都市です。ジョージャの象徴はももですから、都心で「Peach Drop」というカウントダウンがあります。少しつまらないと思っていましたが、全然後悔していません。私は二週間アトランタにいました。そして、のこりの数週間に、インデャナポリスに帰りました。大学の授業は一月十一日に始まりますから、その週末に、私のボーイフレンドはパデュー大学に車で連れて行きました。
私の冬休みはとても楽しかったです。今年の三月に、春休みに来ます。その時は、ニューヨークに行きたいと持っています。

イーヨンヒー・チョーさん

友達との夏休み

   今度冬休みには、いつものように試験が終わった後で、すぐ家帰りました。その後では、クリスマスの買い物をしたり、教会に行ったり、ビーデオゲームをしたりしました。でも、一つ違う事もありました。去年までも、私は高校の友達とよく会いましたが、今年はあまり会いたくなくなりました。それはなぜか分かりませんですが、近いにいった友達と遠くなるのは悲しいでしょう?でも、あれは大学に行った後ではさけられないと思います。
家に帰ったばかり時、私はその悲しみをまだ知りませんでした。その時には、私、少し忙しかったです。私の弟は高校四年生で、SATと言う大学入学試験を取るために勉強していました。私は、その子の姉で、手伝いなければなりませんでした。毎日、1時から六時ぐらいまで、図書館にいっしょに行って、勉強しました。弟が私が要らない時には、自分の勉強をするとか、本を読む事にしました。私の一番愛しい友達もよく図書館に来たから、友達と遊ぶことも出来ました。
友達の名前はハンナです。私とハンナの誕生日は二日差だけですが、私より背が低くて、小さい子です。高校の時、私の友達は毎年変わりましたが、ハンナだけは全然変わらないで、ずっと私のそばでいました。冬休みには、そんな友達ともっと近くようになったので、ほかの友達たちとあまり会えなくても大丈夫でした。私とハンナは両方とも同じ事について興味があったので、趣味も似ていました。図書館でハンナの弟たちと私の弟が勉強する間に、私とハンナは色々な事について話しました。
   今思い出せば、ハンナじゃない友達たちに謝罪したいですが、後悔はしません。家に帰った時には、時間がもっと大切になります。その時には、自分に一番貴重な人たちといるのがいいと思います。私には、その人たちが家族とハンナです。楽器が始まると、大部分その人たちと一番会いたいだから休みの時、多久さん時間を過ごしたいです。では、私の冬休みは楽しくなくてもよかったです。春休みはいつ来るかなあとおもっています。

2010年1月31日日曜日

リュウゾウジ・アヤさん

私の冬休み


   冬休みの間、私は両親といしょに家族に会うために飛行機に乗って日本へ帰りました。お父さんは日本に行くために、二週間の休暇を取りました。日本では、私のおじいさんの八十才のお祝いをしました。お祝いに家族みんなで箱根へ行くことにしました。実は、私は箱根に行くのは初めてだったのでとてもドキドキしてました。
   箱根に行くのには電車に乗りました。駅まで歩いていきました。日本では、電車の中でけいたい電話で話せないことになっているので、私がけいたい電話で話していたら怒られました。けいたい電話が使えなくなったので電車から外を見てました。箱根へ行くまで色々な町を通りました。
   箱根に着いたらりょかんの人が駅まで迎えに来てくれました。りょかんには、少し早く着いてしっまたのでお部屋の用意が出来るまでロビーで待たされました。待っていた間に、お茶とわがしが出ました。その時点で、わたしはりょかんが気に入りました。わがしの中には、あんこがたくさん入っていました。
   お部屋にあんないされる前に、温泉の予約をお願いしました。お部屋で荷物のせいりをしていたら温泉に入る時間になりしまいました。そのため、急いでゆかたにきがえて温泉に向かいました。
とちゅうのろうかに、アイスクリームの自動販売機がありました。そのアイスの名前は「あや」でした。私と同じ名前だったのでとてもびっくりしました。とても食べてみたかったです。しかし、わがしを食べたばかりだったので、がまんしました。
   温泉に着いたら入り口に男性と女性と書いてありました。とても読みにくかったので、男性のほうに入りそうでした。しかし、私は女性の方に入りました。温泉は外の山の上にありました。そのため、下を見ると電車が走ってるのが見えました。
   温泉に入った後にはお夕飯を食べました。自分ではとても作れないお料理が出てきました。アサリ、さしみ、おみそ汁、マンゴプリンなどなど出てきました。しかし一番うれしかったのは「みつやサイダー」でした。「みつやサイダー」はアメリカではシカゴに行かないと飲めないのでとても幸せでした。
   お夕飯は、お部屋でテレビの前で食べたので、紅白歌合戦を見ることが出来ました。私の一番好きな歌手は、「絢香」です。「絢香」は今年で歌うのを止めてしまうので、紅白で歌った時に泣きそうでした。私も泣きそうになりました。紅白歌合戦で勝ったのは、白組でした。もう、毎年白組が勝っているので少し悔し(い)かったです。
   次の日は家族写真を撮りました。写真を撮った所は、泊まったりょかんとは別のホテルでした。そのホテルでは、池の中で鯉がたくさん泳いでました。私のいとこ達は、写真を撮った後に、鯉にえさをあげていました。
   午後にりょかんに帰ると、すでにふとんがひいてありました。女性達は、疲れてしまったのでお昼寝をしました。しかし男性達は温泉でゆっくりしていました。
   また、とても美しいお料理が出ました。とてもかんどうしたのは、竹の子が亀の形に切ってあったことでした。日本に行って初めてたいけんしたのは、お夕飯にイカが丸ごと出てくることです。私は、イカが食べられません。なのでイカの丸ごとの料理を見たら食欲がなくなってしまいました。
お夕飯の後に気分てんかんのためカラオケに行きました。私はもちろん「絢香」の曲を歌いました。とてもすっきりしました。私の伯母さんも歌いました。しかし、おんちなので少し耳が痛かったです。
   次の日は、みんなとお別れしました。私の伯母さんは京都に帰りました。私の家は、東京にあるので東京に帰りました。東京に帰って、すぐにケーキを食べてしまいました。とてもふとってしまいました。今度日本に行ったらお友達といしょに一晩でいいので、りょかんに泊まりたいです。

リュウ・シンさん

冬休みの出来事


   冬休みの時、私はいろんなところへ行った。まずはデトロイト、そこで私のおじさんに会って、彼の家で二晩泊まった。次の日はミネアポリスから来た友達の陈大鹏(Chen Dapeng)に会って、一緒に飛行機に乗って、中国に戻った。中国の冬休みとアメリカの冬休みの時期は違うたから、私の中国の友達はまだ冬休みに入ってなっかた。だから、私と大鹏は帰りの途中で、いろいろな町へ行って、友達の大学へ行って、彼らと一緒に美味しいな物を食べたり、面白い場所へ行ったりした。その中で、一番印象に残ったものは、地獄火翅(Super spicy wings)というものたっだ。
  あれは私たちが合肥(Hefei)にいるときのことたっだ。私の友たちの肖啸(Xiao Xiao)はそこの中国科学大学の一年生だ。彼は私たちをある鍋を食べる店へ案内した(店の名前は忘れたけど)。そこの鍋はちょっと特別で、普通の鍋と同じにいろんなものを一緒に煮えるだけど、湯がないた。それでも、けっこう美味しかった。そこで食べてる途中に、肖啸は「この店に入ったら、ひとつ試さなくてはいけない食べ物がある。それは地獄火翅というものだ。わたしが今まで食べたものの中ではいちばん辛いだ」と言った。私たち三人は長沙(Changsha)で生まれ育ったんだから、そこでは辛いものを食べることが日常茶飯事だ。だから、普通の人がとっても辛いと思っているものも平気で、もしくは喜んでいただけられる。でも、その地獄火翅の辛さは桁違いたっだ。はっきり言うと、あれはもう食べ物じゃないんだ。あんなものはもう殺人兵器だ、冗談じゃないよ。私はただ小さな一口を食べただけで、もう耐えられなっかた。一分以内で水を十杯飲んだが、それでも口の中では相変わらず火傷をしたような感たっだ。正常に戻ったのは、たぶん半時間以降のことた。もし最初の時に、何も知らないまま大口で食べたなら、絶対トイレへダッシュすることになっていた。世の中にはこんなに辛いものがあるなんで初めて知った。
  とは言っても、友たちと一緒にこういうことを体験するのも悪くない、むしろけっこう面白かったし、楽しかったと思う。皆さんも機会があったら、試してみてね。

アマンダ・バーネットさん

私の冬休み


   冬休みには、この町に住んでいるので、旅行することにしませんでした。でも、両親もこの町に住んでいるので、両親の家に来ました。両親の家で、姉も来て、妹といっしょうに遊んで、クリスマスをいわいました。クリスマスの時、家族がこうふんしました。家にないそうをして、にせのクリスマスの松もかざりました。そして、アメリカでは、プレゼントを上げることになっているので、プレゼントを買いました。去年、家族と一番いい友達だけにプレゼントを上げようと思いました。
   それで、妹に「ヴァンパイア・ナイーと」という新しいまんがを上げることにしました。父にポッケトナイフを上げることにしました。後で、ちちは私に「いつも使います」と言ったから、うれしいになりました。母に、工場で働いていって、いつも立っているので、足のマッサジャーを上げることにしました。マッサジャーをつけった時、母は「わっ!いいはねえ」と言いました。とても面白かったでした。エリザベースという友達はペンギンが大好きなので、ペンギンのコーヒーカップを上げることにしました。そして、好きな古い本も上げました。ファリシャという友達に美しい雪のグローブを上げることにしました。そして、友達の中にでんとうから、ノームのぞうも上げました。
   家族と友達はプレゼントをくれました。母と父からふくや好きな本やお金をくれました。姉は日本のゆかたをくれました。はこをあけたら、びっくりしました。「わっ!高すぎるよ」と言いました。でも、姉のへんじは「高くない、だいじょうぶ」と言いました。でも、まだ高い事だと思っています。妹は美しいぞうをくれました。ぞうは姉と妹のお互いの手をつかみます。そして、しまいの下で「Sisters by chance, friends by choice」を書きます。本当に美しいぞうだと思います。あけたら、ほとんど泣くなりました。また、いつも「アパートはとても、とてもさむい」とふへいを言うので、エリザベースとファリシャは電気のブランケットをくれました。本当にかんしゃにしていました。まだ、いつも使います。
   この時はかんわになりました。友達と家族にあそんで、プレゼントを上げて、プレゼントもくれました。それから、さらに、旅行しなかったら、冬休みはとても面白かっただと思います。

ピースート・アンナさん

冬休みにしたこと


   冬休みの最後の週には、ニューヨーク州のロムへ友達に会いに行った。友達の名前はマイク·ロンバードだ。マイクさんはシンガーソングライターだ。 月曜日には、飛行機でバファローへ行って、バファローからロムまで車を運転した。8時ぐらい着いた。マイクさんの友達のアンディーとアレックスに会った。その夜には、私たちは「The Hangover」という映画を見た。ちょっとおかしかったけど、あまり好きじゃなかった。
   火曜日には、レコーディングスタジオへマイクさんはピアノのトラックをレコーディングしに行った。新しいアルバムを作っていた。昼ご飯には、アービズに食べに行った。その晩には、アンディーさんとアレックスさんと私はスーパーへ行って、帰って、アンディーは晩ご飯を作った。とり肉とパスタを作った。とてもおいしかった。
   水曜日には、またレコーディングスタジオへ行った。アンディーさんはドラムのトラックをレコーディングした。タコベールで昼ご飯を食べた。その夜には、私たちはWiiで「Super Mario Brothers」というビデオゲームをして、「I-Spy」という映画を見た。おかしかった。「I-Spy」の方が「The Hangover」よりもっと好きだった。
   木曜日の朝には、アンディーさんとアレックスさんは帰った。それから、マイクさんと私は「Saw」という映画を見た。見た映画の中で「Saw」は好きな映画だった。映画の後で、私たちはコンピューターで「Left 4 Dead」というビデオゲームをした。楽しくていいゲームだった。
    金曜日は最後の日だった。朝には、マイクさんはピアノを引きながら、歌ってくれた。ベン·フォルドズの「Still Fighting It」という曲を引いた。とてもすごかった。一緒に歌った。3時ぐらいロムを出て、バファローへ運転して、飛行機でシカゴへ行った。
    その週間はとても楽しかった。新しい友達に会った。すごくうれしかった。

キム・ユジンさん

冬休み


   私は冬休みに韓国に行きました。韓国に私の家族と友達たちとボーイフランドが住んでいるので、とても心がわくわくしました。韓国でいろいろなことをしましたが一番面白かったことはアイススケートをしたことでした。
   アイススケートリンケにボーイフランドと私の弟といっしょに行きました。私の弟はまだ小学生なので、ひじょうに心がうきたちました。実は、その日私の弟は勉強するのに忙しかったのでわたしとボーイフランドだけスキーをしようと思ったが、雪が多く降ったのでスキー場まで行くことができなかったので、そのまま私の弟もいっしょに近くのリンケに行きました。
   スケートをする前に、ひるご飯を食べました。おいしいしょくどうがたくさんあるのでどこで食べるか決めにくかったです。結局私の弟が一番好きなドンかつを食べました。少し高いレストランですが、本当においしいでした。ご飯をすべて食べた後、スケートをしました。私はスケートをするのが二番目なので、初めてにスケートをすることができなかったですが、すぐよくするようになりました。私の弟もとても幼い時だけスケートをしたんですが、よくスケートをしました。私のボーイフランドはスケートをするのが上手なので私たちを助けました。
   しかし小さい問題がいました。それははき物のサイスがやや小さいことでした。私がはき物を借りる時、説明をよく聞き分けなかったので、一サイスの大きいはき物をはきなさいと言うのをついもとのサイスのはき物をはきました。それで私と私の弟は小さいはき物をはいたので、とてもあしがいたいでした。その後私たちははき物をかえてはきましたが、ずっとあしがいたかったので私はスケートをすることができなかったです。それで弟とボーイフランドだけスケートとを楽しめました。
   スケートをした後に午後六時になって、夕飯を食べに行きました。さまざまな食べ物があるレストランで各自ほかの食べ物を食べました。やはりおいしいでした。地下鉄を乗って家に帰りました。疲らしてあしもいたかったが、弟とボーイフランドと楽しい時間をすごしたのでいい経験だったと思います。

ソル・ダイヨンさん

冬のカナダ


   私はカナダで高等学校を卒業した。そして, アメリカで大学を通った以後から, 毎年,冬休みならいつもカナダへ行った。なぜならば,私の妹がカナダで高等学校を通っているからだ。今年も間違いなく私の冬休み計画はカナダに行くことだった。しかし、今年は少しとくべつだった。今年のカナダ旅行は私一人ではなく、友達もいっしょにだった。そして、私のかわいい犬, チョコもいっしょにだった。しかし、いつもそうだったようにカナダ旅行は友達といっしょにというの以外にはとくべつな計画がなかった。実はカナダはおもしろくないと友達に話もしておいた。なぜなら, 去る 2年間カナダでの私の冬休みは本当にたいくつだったからだ。それで、もじっさいに学校を発って, こっきょうを通って他の国に行くとは心はときめいた。そして、友達といっしょにという考えにカナダでの冬休みがなんだかおもしろそうだった。
   シカゴ空港からトロント空港は約 1時間 30分だけかからない。しかし、今度の飛行はもっと長くかんじられた。生まれて初めてひこうきに乗る 7ヶ月の私たちチョコのためだった。初めて乗る飛行機がいやで、飛行機の中でしんぱいをたくさんした。トロントは去年にくらべてすごく寒くなかった。むしろカナダの 11月秋気ににていた。ひさしぶりに 妹を会ってどてももうれしかった。夏に見たから 4ヶ月ぶりに見たのだ。妹は私と友達をおいしい料理をつくっておいた おなかがすいていた私たちは上がるご飯を食べた。ご飯の味がはちみつの味だった。きたいしなかったカナダ旅行が楽しくなるしゅんかんだった。おいしい食べ物をたくさん食べたかった私たちのみおくることがなりたっていた。私たちはカナダでおいしい食べ物をすごくたくさん食べた。韓国料理, イタリア料理, 日本料理も食べた。食べすぎたか休みがたったらみんなふとってかおが大きくなっていた。二番目で私たちは映画をたくさん見た。’ショルロックホムズ,’ ’ナイン,’ そして ‘アバタ’。去年冬イシューになった映画はすべて見た。私はその中で ‘アバタ’が一番おもしろかった。さいごに私たちは休みにたくさんねた。ある日には一日中寝てご飯も食べないでベッドから出ない日もあった。それでも友達と一緒になのでベッドで話しながら遊ぶことも楽しかった。
   カナダ旅行は楽しくてしあわせだった。おいしいこともたくさん食べて, 映画も見て,たくさん休むことができた楽しい旅行だった。そして、何より友達と多くの思い出を作ることができて良かった。 友達とのゆうじょうがさむかったカナダの冬天気をとかしてくれるようだった。

チェン・ホンイェンさん

冬休み

   二千九年の冬休みに、私はボイフレンドに会いに、シカコに行きました。シカコに行った日はクリスマスの日でした。その日、雨がザーザーずと降っていましたから。ハイワエでも車を運転しにくいでした。シカコに着いた後、ボイフレンドにあって、一緒に前に調べた台湾料理レストランで食事をしました。お腹がいっぱいになった後、ミツワという日本マーケットに散歩に行くことにしました。そのマーケットには本屋があるんですが、いろいろな正月のカードやカレンダーも売っていました。マーケットの中で、私は、初めで日本の御節料理と言う食べ物を見ました。大きいのは、とても高かったから、少し小さいのを買って食べてみました。
   つきの日に、私たちは早く起きて、Sheddと言う水族館に行きました。着いた時、水族館は開いたとこるなのに、人は魚よりもうたくさんいました。私たちは、たくさんの人に混じって、いろいろな海や川や水のそばに住んでいる動物を見ました。たとえば、指のつめぐらいの大きさで黄色い蛙や、ふつの小学生の大きさのたこや、木の葉っぱみたいなたつのおとしごや、鼠を食べている超大な蛇をみました。私が一番大好きなペンキンもなん匹もいました。ペンキンは、色が白黒だし、お腹が丸いし、しっぽが短いし、とでもかわいいと思います。ペンキンが見られる所のそばに、子供のあそびエリアがあります。私は子供じゃないけと、そこで、ペンキンコスチュームを着て、写真を取ってきました。
   たくさんの人は水族館で写真を取っていました。ときどきフラッショを使っている人を見ました。でも、水族館のいろいろな所にカメラのフラッショを使わないで下さ
いと書いてありました。私たちがフラッショを使うと、魚がびっくりしてしまいます。魚はびっくりして、つとれすがたまると、死んでしまうらしいです。私は、水族館員じゃないけと、フラッショを使っている人を見ましたから、注意しました。きれいな魚が元気に生きられるために、フラッショを使わない人がいなくなればいいと思いました。水族館の最後に、大きいペンキンのぬいぐるみを買って帰りました。とても楽しかったです。

アブラハム・アマヌエルさん

 

   私はやすい冬休みをすごしました。カリフォルニアのサクラメントへ飛行機で行った。いとことにんてんどウィイーをして、NBAプロバスケットボールリーグのゲームお見て(NBAを見るが初めてでした。)、家族とアーヴァターという映画を見て、おばさんのコンピュータを治して、おじさんとたくさんビールを飲みました。私の趣味は写真を撮るですけど、冬休みまでデジタルの写真を撮りました。しかし、冬休みに白黒の35mmのフィルムを取るはじめました。二週前にパーデュウー大学でニコンという会社の古いのカメラを買って、たくさん白黒のフィルムも買いました。取るとアパートでデヴェロプをするも少し練習をしまった。たくさん雪がふりましたから、きれいな写真を取るのじきがありました。カリフォルニアへ行く前に友達のファームで雪と犬とりんごのオーチャードの写真を取りました。楽しかった。
   カメラのフィルムはよわいですから、空港のセキュリティをとおりにくいだった。レントゲンさつえい機はフィルムをこわすことが出来ます。だから、インディアナポリスの空港のしゅえいは私のカメラとフィルムも手で見ました。インディアナポリスへ帰る時にもサクラメントで手で見ました。
   いとこと冬休みにNBAプロバスケットボールリーグのゲームお見った。アルコアリナというどひょうで見ました。サクラメントキングスとフェニクスサンスもバスケとをしまった。有名なアスリートがいました。たとえば、スティヴナッシュウとグラントヒールもいました。好きなたべものがあらなかったから、何も食べませんでした。さらに、運転していましたから、ビールを買いませんでした。だけど、いとこのためにポップコーンとレモネードも買いました。高すぎった!写真を取りたいけど、私のざはとおいでした。いいせんでした。フィ二クスサンスというチームはかちました。家族とすごしましたからと、いい天気だったからも、僕の冬休みはすばらしだった。

カラニ・クナルさん

冬休み

   今年の冬休みは日本へ帰りました。冬休みはとても楽しかったけど、とても疲れました。
   日本は私の実家みたいな所なので、帰るのが凄くたのしみでした。でも大学から家までの時間が25時間だからとてもしんどいです。でも私は旧友に会うのが楽しみで、移動時間が早く過ぎました。私の頭の中では日本へ帰ったらすぐ寝られるのかなと思っていたけれど、友達が空港に迎えに来てくれてすぐに遊びに行きました。遊びよりもみんなで行きつけのバーに行ってみんなで飲みながら大学の話をしました。この日はとても疲れて家に戻りました。やっと寝られると思ったら両親がまだ起きていたので朝の4時ぐらいまで話をしました。その後やっと寝ることができました。とても疲れていたので、次の日の夕方までゆっくり寝ました。
   その後の数日は両親と過ごしました。親とは色々なことをしました。例えばお母さんと三宮という繁華街に買い物に行きました。服などをたくさん買ってもらい、満足しました。父とはお酒を飲みに行き、バッテイングセンターへ行きました。久しぶりに親と良い時間を過ごしてとても充実していました。
   親と時間を過ごしていたら、あっという間に大晦日になっていました。大晦日には友達とカウントダウンをしました。何ヶ月も会っていなかった同級生と久しぶりに遊ぶことができてとても嬉しかったです。 この日、新年を生田神社で迎えました。そこには、人がたくさんいました。人が多かったので、もっと楽しみたかった。なぜかというと人が多かったのでもっと盛り上がることができたと思いました。その後、六甲山に友達の車で行きました。そこで日本の三大夜景の一つを見ました。神戸が一望できるので驚くほど綺麗でした。その景色を見た瞬間、天国にいるのかのような錯覚を起こしました。その後、三宮へ行って一休みをしました。そして、丸山公園という所へ行き、たき火で暖まりながら初日の出を待っていました。非常に楽しく、忘れられない一晩となりました。
   大晦日が終わってからの時間は友達と過ごし、あっと言う間に過ぎて気づいたら大学へ帰って来ていました。この冬休みは非常に印象に残る長期休暇でした。今度の休みは春休みなのでまたいっぱい思い出をつくりたいです。